孤夢知の夜更かし雑記

孤夢知の夜更かし雑記

日記を書いたり、小説を書いたり、どうでもいい話をしたり。
たまに怪談や都市伝説みたいな変な話もあります。
役に立つかは分かりませんが、暇つぶしにはなるかもしれません。

【無料で読めます】戸口に残る母の息

返事をしてはいけない。
その声が、死んだ母でも。

牧瀬直人が引っ越した古い家では、午前二時十三分になると、玄関の近くで三度、音がする。

最初は、古い家だからだと思っていた。

侵入経路を塞ぎ、記録を残し、人間の仕業を疑うほど、説明できるものだけが消えていき、説明のつかないものだけが家に残っていく。

やがて聞こえ始めたのは、死んだ母・澄江に似た声だった。

怖いから確かめたくない。
それでも、本当に母なら確かめたい。

家の異変を追うほど、直人の中に残っていた母の記憶そのものが、少しずつ別のものに侵されていく。

あの声は、本当に母なのか。

それとも――

直人が「母だと思っているもの」を、何かが覚えているだけなのか。

午前二時十三分。
玄関の近くで、三度の音がする。

そのあとに名前を呼ばれても――

返事をしてはいけない。

日常のすぐ隣から、少しずつ逃げ場を奪っていく。

住宅怪異と喪失を描いた現代心理ホラー。

『戸口に残る母の息』

著:孤夢知(こむち)

カクヨムで無料公開中です。

▼作品はこちら
https://kakuyomu.jp/works/11054822661955435807

「少しずつおかしくなっていく家」
「確かだったはずの記憶が信用できなくなる恐怖」

そんな物語が好きな方に読んでもらえたら嬉しいです。

読んで感じたことや、気になった場面などがあれば、ぜひ感想を聞かせてください。

皆さんからいただいた感想が、次の作品づくりや新しい物語のアイデアにつながります。

朝は、いつも同じだった。

コーヒーを入れて、
机に座って仕事を始める。

特別なことなんて何もない。

その日も、
いつもの白いマグカップを机に置いて、
パソコンを開いた。

棚には、使っていないマグカップがひとつあった。

前からそこにあった気もするし、
最近置いたような気もする。

そんなことは、どうでもよかった。

 

 

昼過ぎ。

ふと棚を見た。

白いマグカップが、
少し手前に出ていた。

「……あれ?」

朝は、もう少し奥にあった気がする。

でも、
自分で動かしたのかもしれない。

仕事をしながら何かを触ったことなんて、
いちいち覚えていない。

気にせず、仕事を続けた。

 

 

しばらくして、
コーヒーを飲もうと机に手を伸ばした。

そこで手が止まった。

マグカップが二つあった。

ひとつは、私が朝から使っているもの。

そして、
その隣にもうひとつ。

さっきまで棚にあったはずのカップだった。

私は少し考えた。

でも、不思議なことなんてない。

きっと自分で出したんだ。

そう思うことにした。

 

 

仕事を終える前に、
余分なカップを棚へ戻した。

今度は、
自分でも確認した。

棚の奥。

一番端。

そこへ置いた。

机に残っているのは、
自分が使っていたカップひとつだけ。

それを確認してから、
部屋を出た。

 

 

翌朝。

まだコーヒーを入れる前だった。

作業部屋に入って、
机を見た。

白いマグカップが二つ並んでいた。

昨日、棚に戻したはずのカップもある。

それだけなら、

「また自分で置いたのかもしれない」

そう思えたかもしれない。

でも、

そのカップには
コーヒーが入っていた。

しかも、

少しだけ減っていた。

私はまだ、

今朝のコーヒーを

一度も淹れていない。

 

朝、冷蔵庫を開けたら、

ドアの内側に小さな紙が貼ってあった。

「本日の面接 18:30〜」

誰の?

よく見ると、その下に応募者一覧。

・昨日のカレー
・半分だけ残った豆腐
・しなしなのネギ
・いつ買ったか微妙な卵

夕飯の面接らしい。

そして面接官の欄には、

「賞味期限」

強い。

圧倒的に強い。

18時半。

冷蔵庫を開けると、


なぜか残り物たちが妙に緊張して見えた。

「あなたの長所を教えてください」

昨日のカレー。
「一晩寝かされました。昨日より仕上がっています」

おお。
経験を強みに変えてきた。

豆腐。
「何にでも合わせられます」

無難だ。

ネギ。
「まだ、いけます」

声が小さい。

最後に卵。

賞味期限が無言でラベルを見る。

卵も黙る。

私も黙る。

数秒後。

冷蔵庫の奥から、
小さな紙が一枚落ちた。

「採用予定人数 1名」

夕飯を決めるだけなのに、

急に責任が重い。