おはようございます。
先日数年ぶりにスピリチュアルガイドの
セッション音源を聴きました。
当時観察をちゃんとやる、次こそやる
と約束しては、やらない を
繰り返していたのですが、
「やらない」をどう創っているか?
を観察するという内容でした。
やっていないということは、
意識が「やらない」と決めている。
決定が先にあるということだと
ガイドはいいますが、
それがなんのことやら?
当時も今もガイドの話の真意が掴めず、
??がいくつも頭に浮かんでいました。
これをヒントに気づいたことを
書いてみようと思います。
わたしにとっては革命的な出来事でした
昨日のブログに書いた職場での出来事、
「時間があればやっておいて」と依頼された件に、
この「意識がやらないと決めている」を
当てはめてみたとき、「ログインできないから」
というのは後付けの装飾だと気づきました。
依頼された時にすでにやらない決定をしていた。
(やらない、というか優先順位を決めていた)
そしてログインできる可能性を
かけらも思い出さないところまで、
意識(脳)の働きによるものだと気づき、
ハッと目が覚めました。
ログインできないから依頼を遂行できなかった
時間があればと言われたが時間がなかった
と物語を紡ぎ、その物語を生きていたけど
実際は先に意識の決定があって
その通りに実行しただけでした。
なんてコトッ!!!
「わたし」はいったいなんなんだ?
まるで操られているようではないか!
何に?それはわたし自身に、だけど。
「わたし」とはいったいなんなのか?
二元のわたしという世界をどう創っているのか?
肉体を境に内(わたし)と外(それ以外)にわけ
過去現在未来と線で繋ぐ時間の概念を基に
事象に過去の経験などをリンクさせる投影という
システムによって認識させれば
「わたし」という世界ができあがる。
肉体をどの位置に置くのかはよくわかりませんが
(今のところ全体の一、世界、地球の中の日本
みたいなイメージかな?と思っています)
時間は、3次元空間という情報が
毎瞬生成されて切り替わっていく、
パソコンの画像処理とか、立体版
パラパラ漫画の1ページみたいな概念に変え、
過去の経験などを投影するのではなく
目の前にある存在そのものとして認識するように
設定をし直そう!
心の底から、そう思えた瞬間でした。
今日はこの辺りで。
おつきあいいただき
ありがとうございました。