「あれ?

わたし いま 誰のために

光を流してるんだっけ?」


ふと立ち止まったとき

見えたものがありました


これまで私は

ヒーリングをたくさんしてきました


でも よくよく思い返す


自分のために

“ ヒーリング ” をしたことは

ほとんどなかった


いや 正確に言うなら


私は自分を

「実験台」

として使っていたんだと思う


自分の体を通して

光をどう下ろすか

どう感じるか

どんなふうに伝わるのか

どんなふうに響くのか


ヒーラーとして

「 誰かに届ける 」ための練習台


自分のためというより

感覚を研ぎ澄ませるための場


だから

自分の中の痛みや疲れ

悲しみすら


光を扱うための  素材  のように

見ていたのかもしれない


そうして私は

まっさらな気持ちで

人にヒーリングをしながら


同時に

“ 自分という存在 ” 

を観察し学んできた


気づけば私は


優しさの波動や

尊さのかけらや

静かに差し込む光の道を


ずっと内側で感じ続けていた

それはたぶん


“ 誰かのために光を通す ” ことが

自分にとっても

救い だったからかもしれない


でも、最近ようやく思ったんだ。

「 私 自分のためには 本当の意味での 光 を使ってなかったかも 」って


他人のことになると

どこまでも優しくなれて


見えないものを丁寧に受け取って

その人の心を静かに包み込むことができるのに



じゃあ自分には?と なると


私は 光のホース を

自分には向けてこなかった


今回の この足の不調も

もしかしたらそんな私へ


「今こそ、自分を癒して」


と言うサインだったのかもしれない




誰かに

祈ってもらうこともあったけど


結局私は、

その 光 を自分のものとしては

感じられなかった


でも


自分のヒーリングを

自分にかけなおしたとき


ようやく

「 ああ これだ 」と思えた


私の光は 私のもの


そして それを

私にも届けてよかったんだって


ようやく許せた気がする


ヒーリングって

「する」でも「してもらう」

でもなくて


自分に戻っていく行為


なのかもしれない



今の私は


誰かのために 

光を流しながらも


自分にも優しい光を注げる

ようになった


それがすごく うれしい



ようやく

ヒーリングの光が


私自身の丹田の奥深くにも

届くようになった気がしている


もしかしたら

この気づきは

まだ旅の途中なのかも

しれないけれど


この光を

「 自分にも

向けることができた私 」を


いま ちょっとだけ

誇りに思っています




私と同じように

誰かにばかり 優しく 

してきた人に


この小さな


“ 気づきの光 ” 


が 届きますように


わたしの光は

まだ形になりきっていない

かもしれません


でも

誰かの胸に

ふっと灯るような

あたたかさ

だったらうれしいな


今日も自分に

そして誰かに

やさしくいられますように