
2006年最初に手にした本は、年末に図書館で借りていた曽野綾子さんの「希望」。
新年にふさわしい題名かと思ったんだけど、ぜんぜん違っていました。
彼女がどうしてこの作品に「希望」と題をつけたのか、私は今、牛のように反芻しています。
20歳で出征する旧家の跡とりに嫁いだ「摂子」が姑が亡くなるまでの長い時間を耐えていくものがたり。
最初は摂子に同情するのだけれど、結局は彼女もまたこの松野という町で長く耐え忍んできたほかの女たちと一緒に世間への対面だけを気にする人間となっていく。
大きなおなかの時になると普段は置物のように役に立たない舅が彼女を犯す・・
衝撃の場面です。
そんなことさえ、この家に嫁いだのだからと耐える嫁・・
少しの間に世の中はよくもまあ変わったものだと思う。
今は嫁に親が遠慮や気遣いをいっぱいするのだもの。
昔はこうやって耐えてきて自分の世が来るとそれまでの鬱憤を晴らしたのだろうか。
摂子の心がだんだんと変化していく様を読むと息苦しくなる。
自分の中にも、摂子と同じ気持ちが確かにあると感じた。
摂子は結局心から子供も含む誰をも愛さなかったのだと思う。
姑と同じように・・・
面白い小説はいろいろあるけれど、曽野綾子女史の小説は深くて読み終わってもいつまでも心で反芻して忘れられない1冊となる。
それにしても「希望」ってどうしてつけたのかしらん。