朝の支度を始めなければいけない時間になっていました。
時計を見ると、家を出るまであと五十分ほど。
父に「ありがとう、荷物届いたよ」とだけLINEしました。
今日は仕事です。
正直、休んでしまいたい。
そんな気持ちが何度も頭をよぎりました。
昨日、佐藤さんのお家で見た妊娠検査薬。
判定窓に浮かんでいた一本線。
そして今朝、生理が来たことで、わたしの中に残っていた小さな希望も静かに消えてしまいました。
心も身体も重たい。
何もしたくない。
ただ、このまま布団へ戻ってしまいたい。
そんな気持ちでいっぱいでした。
でも、お金がないと生活できないから働かなきゃ。仕事も、日常も、わたしの気持ちとは関係なく進んでいきます。
「行かなきゃ……」
小さくつぶやいて立ち上がりました。
洗面所へ向かい、鏡の前へ立ちます。
そこに映っていた自分を見て、思わず苦笑いしました。
目は真っ赤。
まぶたも少し腫れています。
昨日、佐藤さんの前であれだけ泣いたのに。
今朝も、生理が来たことを知ってまた泣いて。
これじゃ誰が見ても
「何かありました」
と言っているような顔です。
冷たいタオルを目へ当ててみました。
少しでも腫れが引いてくれたら。
そう願いながら数分待ちます。
鏡を見ても、大きくは変わりません。
コンシーラーを重ねて、いつもより丁寧にメイクをしてみます。
でも、どれだけ隠そうとしても、目だけは嘘をついてくれませんでした。
「今日はこれでいいか……」
これ以上頑張っても仕方ありません。
そう自分に言い聞かせました。
リビングへ戻ると、父から届いた段ボールがまだ開いたまま置いてあります。
地元で採れた野菜。
甘い香りのする桃。
わたしの好きなお菓子。
そして、一番上に置かれていたメモ。
『暑いからちゃんと食べなさいまた帰っておいで』その文字を見ただけで、また胸が熱くなりました。
父は何も知りません。
昨日、わたしが妊娠検査薬を使ったことも。
陰性だったことも。
今朝、生理が来たことも。
それでも、こうして変わらず娘を心配して荷物を送ってくれる。
その優しさが、今日はいつも以上に胸へ染みました。
「ありがとう、お父さん」誰もいない部屋で、小さくつぶやきます。
冷蔵庫を開け、全てしまいました。
「今度食べよう」
そう思ったものの、本当に食べられるかは分かりません。
食欲なんて、まだどこかへ行ったままでした。
スマホの父とのLINEを開くと既読が付いていました。
長々と会話はしないけれど、愛情が伝わってきます。
佐藤さんからはまた返信が届いていました。
『今見たよ
仕事中だから長く返せないけど、今日は無理しないで
終わったら電話しよう』
佐藤さんだって昨日は期待していたはずです。
一緒に結果を見て、一緒に落ち込んだはずです。
それなのに、自分のことより先にわたしを気遣ってくれる。
その優しさが、本当にありがたく感じました。
『ありがとう』
それだけ返して、スマホをバッグへしまいます。
玄関で靴を履きながら、大きく深呼吸をしました。
次回へ続きます。