2026年夏に考える
8月14日付の産経新聞記事から
「産経抄・三波春夫」と「正論・藤田嗣治」
2026年8月14日付の産経新聞の記事から2点を紹介します。1点は「産経抄」。ロシアのプーチン大統領が不法占拠している北海島・択捉島を訪問したことについて、北方領土の歴史研究家でもあった歌手の三波春夫さんの志を書いています。もう1点は「正論」。「この夏を思う」というシリーズに、文芸批評家の新保祐司さんが「8月15日の正午の『一瞬』の静寂」と題した一文を寄せています。この中の画家・藤田嗣治についての部分を抜粋して紹介します。
<産 経 抄>
没後25年となる歌手の三波春夫には、歴史研究家や論客としての顔もあった。とりわけ強い関心を払ったのが、北方領土の歴史的経緯だった。先の大戦では出征した満州でソ連軍と戦い、4年間のシベリア抑留を耐え抜いている
過酷な体験を砥石とした筆法は、北方領土を語らせると実に鋭かった。「日本の要求は、四島の返還だけでよいのですか」。択捉島とウルップ島の間に国境を画した安政元(1855)年の日露通好条約を、領土問題の出発点とするのは歴史的に正しいのか。疑問を投げかけた。

千島列島全てを日本領とした千島・樺太交換条約(明治8年)こそ「正しい地図の出発」だ―。月刊誌「祖国と青年」の平成12年5月号にそう書いている。少なくとも北方四島について、われわれは三波と同じ熱量で憤らねばならないはずである。
終戦の日が迫る中、プーチン大統領が北方領土の択捉島に足を踏み入れた。第二次世界大戦の結果、北方領土がロシア領になったとの妄言も口にしている。4島の不法占拠は81年もの長きに及ぶ。ウクライナ侵略といい、暴挙をどれほど重ねれば自身の無礼に気がつくのだろう。

元島民の平均年齢は90歳を超えている。いまだに帰島のかなわぬ心境を思うと、ロシアへの非難の言葉が追いつかない。生きて再び故郷の土を踏むという当たり前の願いが、時間との戦いを強いられている。その現状が腹立たしく、悔しくもある。
三波といえば「お客さまは神様です」の名調子もあった。存命ならばと詮無いことを思う。他国の領土を悪びれることなく踏み荒らすプーチン氏に、音朗々と「何様のつもり?」とこき下ろしてくれように。いや、いまを預かる政治家がなすべき仕事だろう。
<正論 この夏に思う>

昨年の夏から秋にかけて戦後80年の節目ということで、東京国立近代美術館で「記録をひらく 記憶をつむぐ」と題された展覧会が開かれた。これには、戦争画が数多く展示されたが、私は、特に藤田嗣治の「アッツ島玉砕」を見たかったので出かけた。このある意味で有名な作品は、戦後アメリカに接収された後、1970年に「無期限貸与」という形で返還されたものの中の一枚である。しかし、この絵が公開されたのは、返還から36年、戦後も61年経った2006年に開催された生誕120年の藤田嗣治展であった。このとき、前年の05年に、同じように封印されてきた「海ゆかば」の作曲家、信時潔についての本を上梓した私は、戦後の歪みがようやく正されてきたかと思ったことだった。

「アッツ島玉砕」を見るのは、2回目であったが、この絵の前に佇んでいると、あの「一瞬」がやってきたように感じた。この絵の説明文には「国民総力決戦美術展に展示された際には、作品の前に賽銭箱が置かれ、脇には藤田自身が直立し、観客が賽銭を入れると藤田がお辞儀したというエピソードもあります」とあった。藤田が頭を下げたのは、歴史の魂に対してである。このいわば絵画を超えている絵について、今日でも様々な「理屈」が言われるだろうが、大事なのは絵画を超えているところにある「一瞬」を感じることである。

藤田は戦後、石もて追われる如く日本を去った。藤田を追いやったことで、日本の美術からは大勢として、歴史あるいは義が失われ、「様々なる」美が賑わうことになった。美と義という観点からすれば、戦後は義を失った美の時代であった。
8月15日の全国戦没者追悼式での鎮魂の黙禱の中で思い出さなければならないのは、この「一瞬の静寂」である。この「一瞬」にもし音楽が流れうるとするならば、それは「海ゆかば」しかありえないであろう。この音楽は「静寂」を更なる「静寂」にするからである。
