舟木一夫
異色の舞台で共演した
美輪明宏さんが死去
6月29日付のスポーツ紙各紙は美輪明宏さんの訃報を大きく取り上げました
歌手で俳優の美輪明宏さんが6月20日、老衰のため亡くなりました。91歳でした。オフィスミワが28日に公式サイトで公表しました。29日付のスホーツ紙各紙は美輪さんの訃報を大きく報じました。私が最初に美輪さんの舞台を観た時の相手役は舟木一夫さんでした。大学生時代のことです。私は三島由紀夫さんのファンで、美輪さんが三島さんと親しくされていた関係で、美輪さんに興味を持ち、渋谷パルコ劇場などで行われた美輪さんのステージ&楽屋には足しげく通っていました。天寿を全うされました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
オフィスミワの公式サイト

撮影:御堂義乘
訃 報
突然のご報告となりますが、弊社所属の歌手で俳優の美輪明宏が、六月二十日午前九時三十分、老衰のため九十一歳で永眠いたしました。
生前は多くの皆さまから格別のご厚情を賜り、
いつも温かく支えていただきましたこと、本人ならびに弊社社員一同、心より感謝申し上げます。
なお、葬儀告別式につきましては本人の意向により近親者のみで執り行いました。お別れ会や偲ぶ会の予定はございません。誠に勝手ながら、ご香典ご供花につきましては辞退させていただきます。
この一年は、高齢のため仕事をセーブし、体力の回復に努めておりました。約三ヶ月前に体調を崩してからは、自宅で静養しておりました。最後は「ありがとう」と一言感謝の言葉を伝え、静かに目を閉じました。
都内で営まれた告別式には、本人が好きだった黄色いバラを祭壇に飾り、棺には応援してくださったファンの皆さまからのお手紙を納めました。
生前の美輪明宏から直筆のメッセージを預かっております。

世界各地で戦争や災害が起き、地震や洪水など大きな災害も後を絶ちません。そのたびに多くの尊い命が理不尽に奪われる悲しい世の中になってしまいました。日本国内でも闇バイト、通り魔、SNSによる誹謗中傷など、平気で人を殺めたり、傷付けたりする事件が増えているようです。
美輪の願いは、この世からあらゆる差別、偏見をなくし、すべての人が平和で明るく楽しく生きていける共生社会の実現でした。その願いを込めたメッセージです。本人が常々口にしていた言葉です。
令和八年六月二十八日
株式会社オフィスミワ一同
美輪さんは50年以上前に舟木さんとともに“異色の舞台”で共演しています。1973(昭和48)年2月3日から22日まで、東京・渋谷の東横劇場で上演された演出家・松浦竹夫さんが主宰する「松浦企画」の第1回作品「愛する時も死する時も」です。美輪さんは37歳、舟木さんは28歳でした。舟木さん(木挽悠介)と美輪さん(サロンの女給・お春、二役)という異色コンビによる日本版「ハムレット」という感じの“艶歌ミュージカル”でした。
舞台は昭和初期の横浜、一幕十場・二幕十場で、義理と人情がからんだ青春の哀歓を描いたものでした。当時、22歳の学生だった私は、舟木&美輪という異色のコンビによる舞台に魅かれたのか、この舞台を観劇しています。映画好きだった私にとって舞台の観劇は珍しい出来事でした。その後も最近まで美輪さんのステージには何回か足を運び、終演後に“順番待ち”している楽屋にも何度かお邪魔して話をさせていただきました。
舟木さんはこの中で、「俺の故郷」、「盃の歌」(山内賢さんとデュエット)、「愛する時も死する時も」(牧れいさんとデュエット)、「運命の別れ道」、「俺が死ぬ日」などを歌いました。音楽は作曲家・いずみたくさん。それまでに「見上げてごらん夜の星を」「泥の中のルビー」など約50本の作品を手掛け、その中からヒットソングも生まれました。しかし、この舞台では守備範囲外の艶歌という音楽素材を使わなければならないということで、エレキのサウンドやロックのリズムを使って全て現代的な処理をして作ったと言います。
松浦さんは三島由紀夫の戯曲の演出家として知られ、三島の死後は「テアトロ<海>」を主宰。1990(平成2)年夏、舟木さんに「商業演劇の主役がどういうものか若い劇団員に見せてやってほしい」と、東京・新宿の紀伊國屋ホールで行う「薄桜記~忠臣蔵異聞」(8月31日~9月5日)への特別出演を依頼しました。舟木さんは19年前にも演じた役で快く客演しました。舟木さんはこの舞台を見ていた盟友・林与一さんから「今度『薄桜記』をやる機会があったら、俺は絶対堀部安兵衛をやるから他の役者にやらせるなよ」と釘をさされました。のちにこれが実現しますから、この辺りは面白い!!
美輪明宏(みわ・あきひろ)

本名・丸山臣吾(まるやま・しんご、後に明宏に改名)。1935年(昭10)5月15日、長崎県生まれ。丸山明宏の名前で52年、銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で歌手デビュー。57年「メケ・メケ」で人気になり、66年「ヨイトマケの唄」で支持を得る。72年、姓名判断で美輪明宏に改名。故寺山修司さんの劇団「天井桟敷」の設立に参加。「毛皮のマリー」などの代表作に主演。87年に初のシャンソンのヨーロッパ公演を。舞台はほかに「愛の讃歌 エディット・ピアフ物語」など。「もののけ姫」「ハウルの動く城」に声優として出演、NHK紅白歌合戦に12年から4年連続出場。テレビ朝日系「国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉」などバラエティー番組でも活躍した。
〔日刊スポーツより〕
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下はさすらいさんの「武蔵野舟木組」をリブログさせていただきました。







