どなたからのコメントも,筆者の拙き記事を読んで書いてくださった物と思うと胸がじーんとあたたかくなる.改めてブログを始めて良かったと実感する.
昨日,内野さまが記事をかなり遡って,拙ブログに宙組問題に関してコメントを残して下さった.
折角のコメントを埋もれさせるのも申し訳なく本記事に掲載させていただく.
文章を読むに,何らかの思いがあって拙ブログに足跡を残されたことと拝察する.
それに,内野さまへの筆者の返信に,当ブログの運営方針が全てあらわれていると気づいたので.
〈頂戴したコメント〉※当該コメントは「宝塚歌劇への興味が薄れていく」コメント欄にて公開済み
内野です。
加害者とされてる者の友人です。
報道と違う部分があるのに、こうやって加害者扱いされて死にたくなります。
あなたも同じことをしていませんか?
もしそういわれたら
すごくいやじゃないですか?
貴方は世界の正義を司るひとなのですか?
そんなこと言われたら
貴方は正義で加害者を裁く、私はそれを読んで加害者のほうの無念をはらしたいから
こんなことをかく。
これも酷いやり返しですよね。
私は貴方にもしかしたらこの意味が伝わるかもしれないと
ひどいことをかいていることを心からあやまります。
〈筆者の返信〉
内野さま
コメントをありがとうございました.
いただいたコメントの内,4行目までは理解できましたので,それに関して先にご回答いたします.
まず,締結後は報道ではなく,公式の合意書に記載された内容が全てです.
つまり現在は,宝塚歌劇団における過去のパワハラ関連の報道は気にする段階にないと受け止めています.
「同じこと」とは合意書内に記載された14項目のパワハラ行為のことでしょうか.
そうであれば,私は14項目のいずれも行ったことはございません.
当ブログは事件の経過とそれに対して自分がどう感じたかを記録するために始めました.
今回の事件で最も辛い思いをされているのが亡くなった方の遺族であることは疑いようがありません.故に,記事の内容も可能な限り遺族に寄り添ったものにするというスタンスで執筆しています.
その一方で,私には他人を虐めたりパワハラをしたりする才能がなく,「何故,パワハラ行為に至ったか」,「何がパワハラ行為者の人格形成に最も影響したか」を知りたいと常々思っています※.
そのため,合意書や記事など万人がアクセスできる媒体のみならず,合意内容を否定される方やパワハラ行為者に共感できる方からの私信も疑問の答えへ導く貴重な資料になると期待しています.
また,内野さまのコメントの5行目以降が何を意味するのかにも関心がありますので,再びコメントをいただけると幸いです.
今後も上記の2つの疑問に対する自分なりの答えを見つけたいと思います.
コメントについて以下の点を伺いたく思います.
・報道と違う部分があるのに,
何がどう違うのですか?
尤も,劇団関係者でない当ブログより,宝塚歌劇団の代理人に直接お話しされた方が良い内容と拝察します.
・貴方は世界の正義を司るひとなのですか?
「正義を司るひと」とは何でしょうか?
「貴方は正義で加害者を裁く、」と続くので,裁判官のような特定の職業や神のような身分を指されているのでしょうか?
・ひどいことをかいていることを心からあやまります。
最後のこの1文が内野さまのコメントになぜ必要なのでしょうか?ここまで書いて何故,私に謝りたくなったのですか?
※パワハラの才能のない筆者がパワハラ行為者を理解することで,パワハラを実践したいという意味でなく,単純に,疑問の答えを知りたいのです.非常に紛らわしい文章になりました(2024/06/01).
最後に,内野さまへのお返事に書き忘れていたことを本記事に書く.
もし,ドライな筆者がパワハラ行為者と友人だったら,合意が締結し,パワハラが事実と双方に認められた時点で,行為者と縁を切っている.
パワハラが事実認定されてもなお,ご友人を信じ,見捨てない内野さまがなぜ死にたくならなければならないのか.
筆者は生きている人には「死ぬな,生きよ」と言い続ける.
そして,友人が死にたいなどと赤の他人のブログに溢している状況にもかかわらず,未だ自らの責任を果たし少しでも周囲を安心させようとしないパワハラ行為者らに,相変わらず「何故??」と疑問を抱かずにおれんのである.