昨日は宝塚歌劇団公式ホームページを見るのをうっかり忘れていた.

宝塚歌劇ファンになってから10年以上,依存症のごとく毎日欠かさず行ってきた「公式ホームページのチェック」という習慣がこのように呆気なく崩れるとは思わなかった.




 昨年9月末に,宝塚歌劇団宙組団員が過重労働と劇団内パワーハラスメントにより自死した事件があった.

 その事件の少し前から,筆者は徐々に,宝塚歌劇の観劇をやめ,機関誌等の購入もやめ,動画配信・音楽配信の利用もやめ,終には宝塚歌劇ファンを名乗ることもやめた.

 最近では,宝塚歌劇への興味さえも薄れていっている.


 宝塚歌劇不買運動を行っている現在は,手持ちの公演プログラムや公演DVD等を見直すくらいしかできることがないが,それすらもする気が起きない.

 特に,パワハラ行為者(加害者)が出演した宙組公演の多く,若干の星組公演等,その他ハラスメント疑惑のある演出家の手がけた作品の数々….


 過去の公演映像でパワハラ行為者(加害者)の姿を見,声を聴いただけでも,合意書にある14項目のハラスメントを想像してしまう.

それが雑音となって肝心の作品に集中できないのだ.


 加えて,「自死事件」後,二次加害とも言える行為を働いた月組・専科OGや座付き演出家の関与した作品も「雑音なしに観られない宝塚作品」リストに入っている.

(演出家の方は文章が明瞭でなかったため,発信の意図が不明であるが,少なくとも劇団内部調査の結果が出る前の段階ですべき発言ではなかった.)

 


 こうなると,「宝塚歌劇無き生活」真っしぐらである.

次第に,観劇予定もない舞台の新着情報をチェックしたり,過去の作品の公演情報を調べたり,果ては宝塚歌劇団の今後について考えたりすることも無くなるだろう.

 それに悲しいかな,「貧乏暇なし」の筆者には,宝塚歌劇以外にも悩むべき事・成すべき事が無数にあるのだ.

このような,筆者の宝塚への関心の薄れと日常の忙しさから,宝塚歌劇団を批判する拙ブログを放置・削除する日もそう遠くないと思っている.


 弱小とはいえ,宝塚歌劇団を批判するブログが1つ消える.

劇団が望んでいるであろう「宙組団員自死事件」の風化にまた一歩近づくことになる.

まさに劇団の思う壺である.



 「宙組団員自死事件」前後の劇団の悪辣な対応を見ても尚,宝塚ファンとして観劇を続けつつ,ブログやSNSで劇団やハラスメント行為者を批判し続けている方々がいる.

このような方々に「劇団を批判しながら,何故観劇を続けているのか?(=文句言うなら観にくるな)」と半ば非難を込めて疑問を呈する宝塚ファンもいる.


 筆者も以前はこのような立ち位置の宝塚ファンに疑問を持ち,僭越ながら「観劇を続けることの是非を考え直した方が良いのでは?」とさえ思っていた.

 しかし,今は「持続可能な宝塚歌劇団の監視と批判」という点では上記のスタイルは現実的な方法の1つと思っている.


 宝塚歌劇ファンと世間の厳しい監視の目を,今の劇団は恐れているはずである.

そこで,「宙組団員自死事件」が風化し,劇団・企業の醜態をファンと世間が忘れた頃に,ハラスメント行為者を含めた現宙組をしれっと舞台に復帰させたいと画策しているのだろう.



 しかし,宝塚歌劇の観劇を続けている限り,劇団に関連する情報に敏感であり続け,それに対する意見を意欲的に発信できる.

これは宝塚歌劇ファンを敢えてやめないことの唯一のメリットかもしれない.

勿論,そこを忘れたファンは,心の中でどれだけ複雑な思いを抱えていようとも,劇団のカモか金づるにしかならないが.


 筆者自身は極端な不買運動を実行したが,それにより,宝塚歌劇団への興味が薄れつつある.

以前と同じ熱量で批判を続ける根気もそのうち失せてくるだろう.


 理想的には,観劇を控える等の宝塚歌劇不買運動をしながら,合意締結後も劇団・ハラスメント行為者の動きを複数のメディアを通じて監視し,適宜批判を行うことが望ましいのだろう.

 残念ながら,筆者にはそれができそうにない.

(現実には,それが可能な方々もおり,誠に尊敬に値する.)

 

 このような理由があり,「観劇を続けつつ,ブログやSNSで劇団やハラスメント行為者を批判し続ける」宝塚歌劇ファンへの考え方が変わった.

今となっては,このようなファンを,以前より肯定的に見ている.



 さて,拙ブログは,宙組の行く末とハラスメント行為者の処罰を見届けるまでは,そして,故人のご令妹が劇団に在籍されている内は,同じスタンスで続けようと思う.