動画で水子について、調べました。
どういう気持ちで生きれば良いのか、ヒントを探しました。
結果、イライラしました。
またか!って話ですが、頭では赤ちゃんの旅立ちを無駄にしたくないから。
せめてもの意味を持たせたい、感じながら生きたいと考えました。
自分でもそう思うのに、他人が言うと同じ経験してないとしたら簡単に言わないでよって思ってしまうのです。
勝手ですよね、でも本音です。
そんなイライラしつつ苦しんでいると、賽の河原の 石積みの話をしているお坊さんにたどり着きました。
永遠に石を積み続けるなんて、赤ちゃんは何にも悪くないのに?と思いました。
それで、いつになったらやめられるのかを聞きました。
そしらたら、親が心から笑うようになったらと言っていました。
それを聞いてイライラはしませんでした。
信じる人も信じない人もいると思いますが、見てないので私には分かりません。
ですが私が毎日泣いているせいで、赤ちゃんが石を積んでは壊されて辛い思いをする可能性を考えると辛くなりました。
そう思うと、涙が引っ込みました。
私が自暴自棄になってるって理由で、もしも赤ちゃんが安心できない環境に身をおくのは想像するだけでも辛いです。
心から笑えるようになりたい、それだけで赤ちゃんが苦しむ可能性がないならそうしたいって思いました。
殆どの立ち直る為の話にイライラしていたのに、このお話だけはスッと気持ちに納得が出来ました。
娘と同じく赤ちゃんも、私を理由に悲しませたくないって思いました。
この話が、子供が旅立った親を励ます話かもしれないと書いてありました。
私にとっては、励まされました。
私が笑うだけのことで、息子が辛くならないなら笑いたい。
赤ちゃんに何も出来ないことが親として悔しいのですが、笑うだけのことで供養になるなら全力で笑う。
ありがとうの気持ちで泣いても、いつか悔し泣きはしないぐらいになりたい。
それが、赤ちゃんの役に立てるならそうしたい。
私が妊娠前のような落ち着いた気持ちで生活することが、赤ちゃんと娘の為になるならそうしたい。
辛いし、悲しいけど。
子供たちが安心して過ごせるなら、気持ちくらい変える。
喜怒哀楽はあるからいろんな気持ちもあるけど、子供に嫌な方で影響すらなら捉え方を変える。
泣くことも供養になるんかと思ってたけど、違うならやめる。