マルコによる福音書⑪ 礼拝メッセージ 2024.5.11 【聞く耳のある者は聞きなさい】(4章12節)


 マルコの福音書の4章は、神の国の伝達がイエス様の口からたとえ話で群衆に語られています。先ずは種蒔きの例え話です。 

〈1節~9節〉聞く耳のある者は聞きなさい。

 弟子たちには、例え話で話す目的と例え話の説明も書かれています。 

〈10節~12節〉絶えず神様に立ち帰ろう。 例えで話す目的は、『彼らが見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、理解できず、こうして、立ち帰って赦されることがない』ようになるためである。とイエス様は話しました。彼らは、小学生でもわかるような内容を理解しませんでした。旧約聖書に通じ、学んでいるはずのエリート宗教家が、当たり前の話がわからないのです。見るには見るが認めず、聞くには聞くが理解できないのです。なぜなら、『こうして、立ち帰って赦されることがない』すなわち「悔い改めて赦されることがない」からだ、とイエス様は言われています。弟子たちのように、罪を悔い改めてイエス様を信じていないから、悟ることができません。真理を悟ることは、やはり、イエス様との関係なのです。イエス様とともにいることなのです。これが、私たちが真理を悟るための鍵となります。しかしながらイエス様の側で3年半もの間その行動やお言葉を聞いて来た12人の弟子達でさえ、その真意や目的を悟るには時間がかかりました。最終的に、神の力(聖霊の働き)が働いたときに彼等は勇敢な伝道者として各地に旅立ちました。今の私達には、聖霊が共におられます。聖霊の助けを得てみ言葉を蓄えましょう。 

〈13節~20節〉実を結ぶ人生へ たとえ話の説明は、詳しい解説がなくても、私達は読めばその真意は誰でもわかるはずです。しかし、それが心に根付き実を結ぶかどうかは、全く別の問題です。人にはそれぞれに育った背景があり、学んだ生き方があり、習慣化した文化があります。根強い慣習や考え方があります。同時に人には、誰にでも生活の思い煩い、富みの誘惑、欲望などがあります。時に本当に正しい事を見失ってしまい、真理からそれてしまうことは、誰にもあります。それでも人々は自分の人生を肯定したいと誰もが思います。様々な矛盾を感じながらも何とか自分達の考えを正当化し生きていきます。残念なことにそこには絶えず争いがあり、人の心は荒んでいきます。 私達がどんな背景で育ったとしても、また能力が高かろうが低かろうが、社会的立場がいかなるものであろうが、地位や名誉や財産に関係なく、神様の側からのアクションがあるならば、聖書の真理が届けられるのです。私達の側のリアクションは素直にそれを心に受け止める事、それだけです。 

 先ずは聞きましょう。すべては聞くことから始まります。 神の言葉として私達の手元にも聖書が与えられています。その聖書全体が指し示す事はイエス様が、神の子、キリスト(救い主)であること。その神が愛と正義の神であること。それだけでなく、赦しの神であること。その中心にイエス様の十字架の出来事があることが描かれています


ニューライフチャーチ清瀬

牧師 福井和哉