Good Morning New Life 2024.1.31
【宣教の愚かさによって】

『世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。』
(コリントの信徒への手紙一1章21節)

 福音を伝えるために、何かもっとキャッチィなことばやタイムリーな手段、才能のあるタレントや有名な説教者はいないものかと思いますが、お手柄を立てるとその人が崇められイエス・キリストの影が薄れていきます。新共同訳聖書は「宣教という愚かな手段によって」と訳しています。私達は、十字架に架かったイエス・キリストを伝えています。十字架とは敗者、弱者、無力者の姿そのものです。神は人間を救うために、どうしてもっと有効な手段を用いられなかったのでしょうか。
 神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのです。十字架こそが神の言の力と愛を顕す手段だったからに他なりません。それは神の知恵にかなっていることでした。神は時に大伝道者を用いられますが、小さな1人1人をも用いられます。愚かと言われようが、私達一人一人が地道に一人一人を導くことからはじめましょう。

ニューライフチャーチ清瀬
牧師 福井和哉


『なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心した』(Ⅰコリント2:2)
『しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない』(ガラテヤ6:14)
byパウロ