20年来の友人を亡くした。

 

始まりは保育園のママ友だった彼女とは、誕生日が一緒だった。

 

私が母を亡くした時、あちこちで飲み歩く私に、お酒の全く飲めない彼女は付き合ってくれた。

私がヨガにハマれば、熱心に聞いてくれて、ヨガクラスを開いたら、喜んで参加してくれた。

 

そう。彼女はいつでも、もっとも熱心に話を聞いてくれた。

 

 

 

3年前に病気を見つけてから、手術して、入退院して、進行の早い病気と共に生き

最後の半年まで仕事を続け、本当に懸命に生きてきた彼女。

 

 

 

母が亡くなった時、父が亡くなった時と違うのは

彼女との思い出が、この場所には溢れ過ぎてて辛いところだ。

 

 

毎年日の出を見た荒川の土手。夕日眺めながら一服したタバコ場。

よく行った喫茶店。喧嘩した帰り道。

 

タバコを一緒のやめた時にも、吸いたくなったらすぐlineしてよく歩いた参道。

余命宣告されたと聞いて一緒に泣いた道。

 

 

それらが、あちこちにあり過ぎて、似てる後ろ姿見つけるのも辛くて

ずっと引きこもってる。

 

 

喪失。

見た目には、誰にも分からない、喪失感。