母の様子を月ごとに書いていきたいと思って、テーマを設けました。
この記事のテーマは
70第母の悪性黒色腫2024年4月
です。
これから1ケ月ごと増やしていきたいです。
母の5年日記。
他界した後、見るのもツライ…と思ってそのままにしていました。でも捨てることが出来ないから持ってきたのに、開いてみると、時々しか書いていなくて(知っていたけれど)残念。
中には私が忘れていたり、正確な日付を覚えていなかった事柄もあって、実は助かるかも、と思いました。
そして最近は私がそれぞれの日に日記を書いています。
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2024年4月11日
右耳の聞こえが悪くなってショック。
昼間、ひとりで外出するのも不安。
また●●(=私の名前)に負担をかけてしまう。
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これが理由だったんだ…と改めて知りました。
4月中旬から「一人で家にいるのが不安」と言い出して、本当に私の自由が無くなりました。
鼻血が急に大量に出る日が増えてきたので、そのせいで不安なのかも…と思っていましたが、耳が聞こえないからだったんだ…。
確かに、ひとりで外出して、後ろから車が来ても音が聞こえない、サイレンが鳴っても聞こえない。
ちょうど一緒に居る時でしたが、2024年1月1日の能登半島地震の際、携帯からけたたましい音(緊急地震速報)がなったけれど…耳が聞こえなくなったら、同じことが起こっても母だけが分からない。
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母は鼻のガンです。
こんなにもいろんな症状が次々と出てくることに、私の心はついていけれなくなりました。
・斜視(たぶん4月中旬から)
・鼻血(これは2023年暮れぐらいから)
・頭痛(今から振り返れば髄膜炎が始まっていたのかも)
・耳が聞こえない(上記の通り4月から。にもかかわらず、最期まで主治医は「娘さんに甘えているだけ」と言っていた)
・異常行動(これは意識不明になる直前)
・口の渇き(鼻が完全につまった状態で口呼吸のため)
・口の動きが固まってきた
・鼻の下の皮膚が変色(頻繁に鼻水・鼻血が出ていたせいだと思われる)
・貧血
・体重減少
・飲み込みづらい
数百万人に一人という珍しいガンだから仕方がないというのかもしれません。
でも、元々通院していた病院の主治医も、大学病院のメラノーマセンターの主治医も、これらの症状がでることなんて、教えてくれませんでした。
きっと、主治医すら知らないことばかりだったのだと思います。
そして難聴の話。
同じリビングにいるのに、聞いていないことが増えました。
こっちを振り返ることもなく。
「聞いていないの!?」と怒ると、母はボーっとした表情で「聞こえない」。
実はこれに気づくまでにも、朝のアラームで喧嘩したことがありました。
母自身の予定があって、早めに起床しないといけない日でした。
にもかかわらず、母のアラームは鳴りっぱなし。
母は全然、起きない。
「自分が出かけるんでしょ!」と怒って、母を起こしたことがありました。
実は…
聞こえていなかったんだ…。
これに気づいてから、「ごめんね、ごめんね、ごめんね…」と何度も謝ったけれど、怒ったことへの謝罪でしたが、謝りながら、耳が聞こえなくなった事実が悲しくてたまりませんでした。
その後、難聴はどんどん悪化して、一応、アマゾンで補聴器を購入したものの、上手く使えたり使えなかったり。
耳まで聞こえないのか
どこまで症状がでるのか
それが怖くてたまりませんでした。
同時に、ふつうに会話することが出来なくなって、大げさというか怒ったような会話が増えていくことも、すごくイヤでした。
何か作業しながら、遠くから話しかけるのは絶対ムリで、わざわざ母の目の前に行き、
「いい?聞こえる?」
と確認した後、
今日!
私は!
●●をするから!
聞こえた?
いい?
分かった?
と大声で言わないといけなくなりました。
従来なら、朝食時に、「今日、●●するからね~」とサラッと伝えていたのに。
毎回毎回、こうした会話になり、それでも上手く伝わらないことがあって本当に辛かったです。
だれも教えてくれなかったから。
メラノーマ(悪性黒色腫)と診断された時も、通院した時も、セカンドオピニオンを聞きに行った時も。
耳が聞こえない。
ホントにショックで、不自由で、辛かった。
母もすごく辛かったと思うし不安だったと思うけど、それを思いやる余裕は、もう私に残されていなかった。