今日で1月も終わります。

いろいろな出来事があったなぁ…


夫は昨年12/8、救急車に運ばれ

肺炎と診断されました。


入院直後に2度の危篤状態があり

初めて耳にする人工呼吸器という

言葉を耳にし選択をせまられて

パニクッてしまいました。


夫は現在も苦しみながらの

入院生活を過ごしております。


面会をしては何故か心苦しく

帰宅し、そのひと晩は何故か

眠れなくなります。

覚悟を決める心境に陥ります。


でも自分の選択した結果については

後悔はありません。


元旦はお父さんのいない

息子と2人だけの朝を迎えました。


今回は天神様も飾らず、お正月の

料理も作らず、唯一黒豆と雑煮のみ

作りました。


ごぼう、人参、椎茸、牛肉、三つ葉、角餅の入った醤油仕立ての雑煮。

黒豆は…家は、わざわざ黒豆を
固く煮ます。
独特なのです。娘が正月になると
必ず作って欲しいと言います。

午後から娘夫婦も遊びに来て
賑やかになりました。

令和6年1月1日午後4時10分頃

地震が起きました。

最初は弱く次には思いもかけない

大きな横揺れ〜


嘘でしょう〜


ミシッ、ミシッと家のきしみ

中庭の灯籠が倒れ

今までなかった光景😱


えぇっ~


やめて、止めて、やめて…


何度も何度も、理由の分からない

言葉を発したことでしょうか


その内、追い打ちをかけるように

津波警報のアラート

わが県に津波?

そんなのは初めてで…

パニクッてしまった


高い所へ逃げてください!!

早く高い所へ逃げてください!!


その一点張りのアナウンサーの声に

一同騒然となり…

一応ファンヒータ、神棚、仏壇、

蛍光灯等は娘が切ってくれ

私はただオロオロしてました💦


とにかく、カバンと

あったかい格好で出ようと

モタモタしていると…

玄関から「早く、早く」の声に

押されて…


車の中で落ち着いたら

玄関の鍵をかけ忘れたのに

気が付きました💦


お父さんは病院にいて良かった

ただそれだけが救いでした。


津波…この一声で何が起きたか

パニくり町内の避難場所も避けて

ただただ高い場所へと目指しました。


わが県は5強でした。


令和6年能登半島地震と

命名されました。

被災地は1ヶ月たった今も

まだ断水のままの所もありで

少しづつ前には進んでいますが

場所的な差はあります。


被災者の一言

「頑張れ、頑張れ…の言葉が辛い」

これ以上頑張れない心身の日々の

疲れが蓄積してきていることは

わかり過ぎるほど分かるから…


  どんな言葉をかけたら

       よいのだろうか


お父さんの事もあり地震の事もあり

で苦しい1月。


このメンタルを保つには…

月の前半は余り何も考えられず

ボーっとしてました。

それから家の損傷はどこか見たり

友達から情報を得て市役所に

電話をし外観からですが

家の診断をしてもらいました



 幸いに軽くて良かったです。


家の中は廊下から少し傾きが
あるので戸は開かなくなりましたが
廊下の戸はそのままにして、
日頃使っている部屋の襖は
開閉が出来なかったので
シルバー人材センターの人に
直してもらいました。


被害は少なかったのでホッと
しています。
余震も段々少なくなりました。

1月は病院からの連絡も
少なくなりました。
毎日のお父さんの介護もなくなり…
週に1回あるかないかの
面会のみとなりました。
これはこれでぽっかり
穴が空いて…

人間って本当に我欲の強い
生き物だと思います

あれほど自分の時間が取れなくて
イライラしてたのに…ね

今は何をすればよいのか…
手につかないので、
がむしゃらに時間を埋めています。
掃除をしたり、お父さんの整理の
出来る所のみしたり…

「天地人」のコラムを大体毎日
書き写したりしてます。


 
コーラスでは「小さな幸せ」
   作詞・作曲 谷本智子
地震の時に作られた歌だそうなので
何度も何度も聴いて歌っています🎶



色んな事をしているのだけれど、
それでもメンタルは強く
ならない悲しい

メンタルとは…
現実に起きたことはそれと
向き合って、それから
逃げない覚悟が必要なのだ
と考えるに至りました。


明日からもう2月だよ〜

お父さん!! 
  病院で頑張って
     いるんだもんね💞

私もお父さんから
  貴重な時間をもらったので
  お父さんと向き合うよ〜
    安心して〜
  現実から逃げないよ💞