【柔道部物語:不思議なアルバイト】
大学1年生の時、先輩(4年生)の代行で、不思議なアルバイトをした時の事をお話し致したいと思いますので、しばしの時間お付き合い願います。
自分は、入学直後に上級生との稽古をしていた所、左膝靭帯を痛めた為、ケガが落ち着くまでの間、見学をしながら時計係などをして号令をかけておりました。
金曜日の稽古も終了し、雑用などの合間に夕食と入浴を済ませ、22:00の点呼後に、よく自分の事を何かと気にかけてくれる4年生の先輩から、明日の土曜日に行うアルバイトの代行をお願いされました。
ケガ人で、稽古を見学する時間も多かった為、他の4年生からもアルバイトの代行を依頼される事が時折ありましたので、今回も快く引き受ける事にしました。
アルバイトの内容は、水道橋にある他の大学構内の警備をする仕事という事でしたので、指定された時間に現場へ行くと、すでに先輩からアルバイト先に連絡が入っていた様で、問題なく事務所で仕事を始める事になりました。
正面の校門横にある広めの会議室に入ると、ソファーや会議用テーブルが数台置かれた中に、中年男性2名と若手の男性2名がくつろいでいました。
リーダー各の年配男性に挨拶した後、他の方に紹介され、仕事内容の説明を受けました。
1960年代に学生運動が活発に行われていた時代、暴徒と化した学生が校門を通り校内を占拠する事件が多くの大学で起きておりました。
この時、学生が校内に入るのを阻止する為、校門を閉めて学生が入らない様にする仕事で、私が学生時代には、すでに学生運動などは皆無でしたが、昔の名残で特殊な警備を行っているとの事でした。
9:00~17:00迄、校門横の会議室でゴロゴロしているだけで、1日¥5,000のバイト料は、当時の貧乏学生であった自分にとっては、とても魅了的でしたので、週末に先輩からのバイト代行を心待ちしておりました。(バイト中は稽古免除でした)
毎回、ソファーでゴロゴロしながらマンガなどを読み、昼寝やキャッチボールをして遊び、お昼時間には、ホットプレートで、お好み焼き・たこ焼き・焼きそばなどを作り、強豪校柔道部の1年生であったという事もあり、皆さんとてもやさしく、楽しい時間を過ごしておりました。
皆さんとも仲良くなり、色々とお話をするようになった頃、自分が警察官を志望している事を知ると、リーダー格の方がこのバイトには、なるべく来ない方が良いと、助言を受けました。
理由を聞くと、特殊警備の方々は、新宿を中心に活動をしている大規模な反社会的組織の方々なので、警察関係に将来就職する時に障害になるといけないから、距離を置く様にアドバイスをしてくれました。
確かにキャッチボールなどして遊んでいたとき、ランニング姿になった皆さんの背中には、色鮮やかな絵が描かれておりました。
そんな楽しいアルバイトでしたが、4年生の先輩が卒業してからは、特殊警備のバイトへ行く事は、自然となくなりました。
不謹慎な考えですが、私の中で反社会的団体の方々は、仕事やお金が絡まないと、普通の人と変わらない、やさしい方々だという認識があるのは、このような事が背景にあるからかもしれませんね。
今では、ありえない事ですが、懐かしい思い出のひとつです。

