【ゼネコン社員物語:海外事業部】

 今から30年程前ゼネコンに勤務し、英語が全く話せない私が何の間違いか、海外事業部に配属された時のことをお話しようと思います。

 

 入社1年後に九州支店に移動となり、翌日に沖縄の現場へ配属され、米軍基地内の施設(燃料タンク・普天間基地のヘリコプター格納庫・瑞慶覧基地における米兵の隊舎建設など)の建設現場の事務を担当しておりました。

 

 沖縄の米軍基地は、日本国内でありながらゲート内は、アメリカ合衆国という環境になりますので、アメリカ国内で仕事をしているような錯覚に陥ります。(周りは米兵ばかりです)

 

 本社には、海外事業部という部署があり、海外の現場(中南米やアフリカなど)を担当していた為、米軍基地内の事務所から本社の海外事業部へ直接電話をし、海外事業部に移動したい旨を伝えた所、英語が話せないと移動する事は出来ないと断られました。

 

 数年後、東京支店へ移動し、購買課という部署に配属され、現場で使用する主要材料(生コン・鋼材・仮設鋼材・備品等)を業者と打ち合わせし、手配する部署で勤務しておりました。

 

 同じフロアに海外事業部もありましたが、特に交流は無く、数年が過ぎた頃、海外事業部で事務関係を担当していた社員が退職した為、代わりに他の部署の係長が配属されましたが、現場経験が無く、数か月もすると海外事業部の事務処理が回らなくなり、現場経験豊かな事務社員が必要という事で、現場事務8年程の経験がある私が指名されて、海外事業部へ移動する事となりました。

 

 移動して、部長や他の社員に挨拶し席に着くと、課長がやって来て「以前、海外事業部に移動したいと電話をかけてきたのは、君だろう?」と聞かれました。

 

 どうやら、海外事業部に移動希望の電話した時に対応してくれた人が、課長だった様で、長年海外事業部で仕事してきたが、直接海外事業部に移動希望の電話をしてきたのは、私だけだった様で覚えていてくれたみたいでした。(課長は、同じ大学の先輩でもありました)

 

 海外事業部へ移動後、数か月間は、海外現場の経理書類が山の様に溜まっており、端から処理していきました。(何とか通常業務が出来る様になりました)

 

 私の海外事業部での業務は、日本国内において海外の現場への支援を行う為、総務&経理の様な仕事の他、銀行から現金(ドル)の送金や不足物資を現地へ発送、帰国出国する社員へのホテル手配や赴任時の航空券手配、海外でのリスク保険(誘拐等の身代金)の他、海外事業部の事業計画のまとめ、各経営会議の資料作りなど数多く、何でも屋さんの様な存在です。(学生時代のマネージャー経験が生かされ多様です)

 

 毎朝、出社すると海外の現場より大量のFAXが送付されており、返事をするだけで、午前中の仕事が終わってしまいます。(時差の関係で夜中にFAXが送付)

現在の様にメールなど無かった時代でしたので、大量のFAXに返事を手書きで書いた後、現場に送った現金の清算書を作るのですが、国内と異なり、レシートがあればよい方で、中にはメモ用紙の切れ端に殴り書きされたものを解読して、精算書をつくります。

 

 現金精算書は、①現地の通貨(中南米・アフリカ・インドネシア・台湾など)②ドルへ変換したもの③日本円に変換と同じものを3種類(通貨別)作成した後、ドルで送金した時と精算時のレートが異なるので、差益差損の伝票を作成して、経理に提出する為、国内に比べて3倍以上手間がかかります。

 

 その他に各国の大使館へ提出する書類作成及び窓口への提出業務・社内で行う経営会議(海外事業部)に提出する、事業計画や利益及びリスク関係の資料作りと忙しく、土日返上で仕事をしても、終わらないことも多く、今思い返して見ると、結構ブラックな環境でしたが、一番年下だったこともあり、部長はじめ各所長から可愛がられていたので、楽しく仕事をしおり、遠い昔の懐かしい思い出ですね。

自分を褒めてあげよう

 

 

 

 

 

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