【お総菜屋さんのお弁当】

 様々な物が豊かな時代ですが、色々な事情で食事を摂れない子供達も数多く存在し、各地では、「子ども食堂」のボランティアを運営されている団体も数多く、食品工場で作られたご飯ではなく、手作りの温もりのある食事を子供たちに提供されているようです。

 

 夕食も終わり、甘い物をつまみながら、お茶を飲み一息ついて、ふとカレンダーに目をやると、来月は、母親の命日が近い事に気が付きましたので、今回は、母親の思い出話でもお付き合い願います。

 

 私が小学校の高学年頃、今の様に街にコンビニなどはなく、仕事や様々な事情で、料理をする環境にない人たちは、商店街の「お総菜屋さん」を利用しておりました。

 

 クラスの同級生で少し前にお母さんを亡くした女子がおり、父親と二人暮らしの為、父方の妹さんが時折、家事を手伝ってくれる様でしたが、叔母さんにも家庭があるので、毎日ではなく、夕食などは、父親からお金を預かり、商店街の「お総菜屋さん」で、好みのものを購入し、一人で夕食を取り、夜遅く帰宅する父親の帰りを待つ日々を送っていた様です。

 

 遠足や運動会などのイベントがある時、クラスメイトは、お母さんが作る、色とりどりのお弁当を持ってきますが、同級生のお弁当は、前日に「お総菜屋さん」から、お総菜を購入し、お弁当のおかずとして持ってきていました。

 

 当時、私の家は、あまり裕福では無かったので、母親の作るお弁当は、少々地味目でお総菜屋さんのお弁当が、ごちそうに感じ、母親に私も「お総菜屋さん」のお弁当をお願いしたことがありました。

 

 理由を聞いた母親は、少し考えた後、夕食後に連絡簿(昭和ですね)から同級生の家に電話をし、相手の父親と少し話し、その後、何事もなかったように過ごしておりました。

 

 翌日、学校から帰宅すると、台所で何やら楽しそうな、話し声が聞こえて来ましたので、覗いてみると、同級生の女子が笑顔で母親と一緒に夕食の準備を手伝っておりました。

 

 何があったのか、不思議に思い聞いた所、女の子が夜一人で家にいるのは危ないし、育ち盛りの子供が、お惣菜屋さんのおかずかり食べていたら健康にも良くないという事で、相手のお父さんと相談し、仕事が終わるまで我が家で預かり(夕飯も一緒に食べておりました)、父親が迎えに来る事となったそうです。

 

 ついでに、料理も教えて帰りには、父親の夕食も持たせていました。

 

 私には、年の離れた姉がいましたので、お迎えが来るまで、一緒に宿題を教えてもらい、テレビや皆でおしゃべりなどした後、父親と一緒に帰る日々をしばらく送っておりました。

 

 やがて、父親の再婚が決まり、優しそうなお義母さんと弟が出来、我が家に放課後、来ることはなくなりました。

 

 中学に進学した後は、別々のクラスでしたので、顔を合わせる機会も少なく、昔の様に一緒に過ごすことも自然と無くなっていきました。

 

 大人になって彼女が結婚したことを季節の手紙で知った母親は、自分の娘が結婚したように、本当にうれしそうでした。

 

 数年前、母の葬儀に彼女が来てくれた時、子供の頃に放課後我が家で、料理を教えてもらった事や、姉や私と一緒に過ごしていた時は、本当の家族の様に思っていたと、懐かしそうに話しをしてくれました。

 

 現在は、子育てもひと段落して、老人施設で食事を作るパートの他、時折、「子ども食堂」のボランティアに参加し、事情のある子供たちに、手造りの温かいご飯を提供し、私の母に受けた恩を少しずつ返している様です。

 

 母親が託した「優しさのたすき」は、次の走者に託されたように思います。

優しさを感じたちょっとした事

 

 

 

 

 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する