【ポンタン飴】

 子供の頃、誰もが一度は、食べた事がある、お菓子に「ポンタン飴」があります。

 

 パッケージも子供の頃から変わりなく、食べなくても食感と味が記憶に刻まれている方も、多くおられるとおもいます。

 

 キャラメルの様に四角くカットされ、オブラートで包まれているので、箱から取り出し、口に運び奥歯で噛むと、さわやかな酸味と香りが広がり、派手さは無いが、昔と変わらない美味しい味が感じられます。

 

 「ポンタン飴」のセイカ食品の歴史は、古く創業100周年を迎える菓子製造メーカーです。

 

 大正14年水あめが売れず、船で県外への輸送中にブリキ缶に穴があき、水あめが流出して損害を受けたので船会社に抗議したところ、あべこべに甲板の掃除代を請求される悲劇もあって、状況としては会社がつぶれない方が不思議なくらい業績も悪化していた時期がありました。

 

 初代社長が、苦しい中、新しい商品を考案していると、水あめでつくった朝鮮アメを、工場の職人がハサミで切り遊んでいるのを目撃し、それにヒントを得て、ポンタン飴の制作を思いつきました。

 

 朝鮮飴に色と香料をつけ、ひと口に食べられる形の粒にしてキャラメルと同じようにタテ詰めにしました。

 

 箱の図案は大阪の専門家に頼んだ所、田舎っぽいという評判もありましたが、かえって南国らしい色彩が好評でしたので、採用したそうです。

 

 こうして出来上がった製品ですが、まずは、チンドン屋を編成して全国にくり出し、飛行機をチャーターし空からボンタンアメをまこうと計画をするも、資金不足で中止となりましたが、鶴鳴館で盛んな壮行会をやり、新聞にも写真入で書き立てられて大変話題になった事もあり、全国的に広まっていきました。

 

 空襲で工場も焼け一時閉鎖しましたが、焼跡から、再建の基点となる事務所を作ることにし、防空壕から掘り出した木材、半焼のトタン、焼釘などを用いて2日間で2坪半の小屋を建て焼跡にポツンと立ったほったて小屋の事務所から再出発をしたそうです。

 

 昔から変わらないおいしさのボンタン飴ですが、最近では、ハイカラなパッケージのお菓子が店頭に多く並べられて、あまり見かけず、たまに、駅の売店などで見かけると、ついなつかしさのあまり、手に取ってしまう、記憶に刻まれたお菓子ですね。

 

 大正時代から続く、歴史と伝統のある、変わらぬおいしさの、お菓子を食べながら、読みかけの文庫本をお供にして、秋の夜長を楽しんでみては、如何でしょうか?

 

ボンタンアメが進化して大人向け〇〇に!?老若男女に愛される鹿児島のご当地アメ|オマツリジャパン|あなたと祭りをつなげるメディア

 

今日のおやつはこれ

 

 

 

 

 

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