座って半畳、寝て一畳

座って半畳、寝て一畳

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【予約席】

 学生時代、自分が所属する柔道部の監督は、新橋で小さな居酒屋(定員10名程)を営んでおり、怪我をして稽古に参加できない自分は、ほぼ従業員の用に連日お手伝いをしておりました。

 

 ランチタイムの後、夕方からの監督は、稽古の為に大学の道場へ行き不在になる為、先生の奥さん・息子さん・自分の3人でお店を開き、稽古後に監督が戻った後、閉店後に先生と奥さんの3人で帰る途中に最寄り駅近くのお寿司屋さんなどで夕飯を一緒に食べてから寮へ帰る日々を送っておりました。(先生のご自宅は、寮の近くでしたので、朝から晩まで監督と一緒に過ごしておりました)

 

 そんな居酒屋タイムの常連さんに、品のある老紳士がおり、カウンターの端に腰掛けて、お好みの料理と焼酎のお湯割りを静かに1~2杯飲んだ後、帰られるお客さんがおられました。

 

 自分は、この常連さんに何故か気に入られていた様で、貧乏学生では、買えないお菓子などを差し入れと称して頂くことがあり、量が多い時には、寮へ持ち帰り仲間と幸せのおすそ分けをしておりました。

 

 この常連さんは、大きな会社の役員をされている様で、取引先が頻繁に持ってくる菓子折りなど会社で食べ切れない分を、自分への差し入れとしてお店に持って来てくれていた様です。

 

 どうやら、若い時に戦争の影響で学生時代には、大変苦労していたそうで、自分が柔道部での稽古風景や寮生活などの様子を面白おかしく話す様子をと楽しそうに聞いてくださいました。

 

 大学を卒業後、九州方面の支店へ移動し10年程勤務していた為、先生のお店へ顔を出す事も無く、ご無沙汰しておりました。ようやく本社勤務になり、久々にお店へ顔を出すと、相変わらず先生は、大学の稽古に行かれて不在でしたが、奥さんと息子さんは、お元気にされており、昔話に花を咲かせておりました。

 

 ふと、カウンター席に視線を移すと常連さんが座っていた席に予約席の札が置いてありました。私が知る限り予約されるお客さんなど皆無でしたので、不思議に思っていると、先生の奥さんから、自分を気に入ってくれていた常連さんは、数年前に亡くなったと告げられ、丁度今日が命日との事で、常連さんの奥様が毎年、早い時間に来店されるので、予約席にしているとの事でした。

 

 何物でもない学生の自分に対して、とてもやさしく接してくれたお客さんでしたので、残念に思っていると、品の良い年配の女性がお店に入ってまいりました。

 

 我々に一礼し予約席に座る姿を見た時に、常連さんの奥様である事を理解いたしました。

 

 カウンターの予約席に座ると、注文は決まっている様で、大根の煮物と焼酎のお湯割りが用意されました。奥様は、料理とお酒を静かに見つめた後、ゆくりと料理とお酒を召し上がりながら、私の方へ「間違いだったらごめんなさいね。あなたは、以前こちらのお手伝いをされていた学生さんですか?」と語りかけてくださいました。こちらのお店で学生時代にお手伝いをしていた事を伝えた所、懐かしそうに私を見つめて「主人が生前、あなたの事をよく嬉しそうに話しておりました」と仰って下さいました。

 

 「このお店に来ると、体が大きくてとても元気な柔道部の学生さんがお手伝いをしていて、部活や寮生活の事を面白おかしく話をしてくれて、とてもうらやましいく思う」と話していた様でした。

 

 ご主人が亡くなってから、命日が来る度に、このお気に入りだったお店に来て、懐かしんでいるとの事で、先生の奥さんと息子さんを交えて、しばら暫くの間、常連さんの想い出話をしていると、奥様を迎えに身なりの良いスーツ姿の男性が、お店にやってきて、お店を後にされて行かれました。

 

 どうやら常連さんは、かなり大きな会社の経営をしていたようで、この小さな居酒屋で、自分と会話をする時間を楽しみにしていた事を知ると、稽古の合間に監督のお店をお手伝いしていた事も、誰かのお役に立てていたことは、無駄で無かった様で、カウンターの隅に視線を向けると昔と変わらず優しい笑顔でほほ笑んでくれる常連さんの姿が見えたような気がし、グラスを傾けて乾杯をいたした後のお酒は、少し切ない味に感じました。