お疲れ様です。
Jane Austenの高慢と偏見を読んだので感想を書いてみたいと思います。
<Jane Austen>
1775-1817 イギリスで英国国教会の牧師の娘として生まれる。
学識豊かな文学好きの一家の影響を受け、Astenも12歳から小説を書き始め、生涯で6編の長編小説を出版している。
中でも高慢と偏見は高く評価されており、サマセットモームが世界10大小説の一つとして名前を挙げている。
小説では女性の結婚が大きなテーマとして描写されているが、本人は生涯独身でアジソン病のため41歳で死去している。
イギリス北部で産業革命が進んでいることや、フランス革命の影響から貴族や聖職者など特権階級の立場も変化しつつある時代でしょうか
時代的にナポレオン率いるフランスとばちばちしている時の方なのですね。
文学史の中では18世紀前半からの古典主義からロマン主義に変遷したあたりです。
<高慢と偏見>
厳しいイギリス階層社会の中で、男子がいないベネット家では、
娘たちがうまく結婚相手を見つけなければ財産を受け継ぐことができない。
一刻も早く婿を探そうとする母は、娘エリザベスに卑屈で尊大な牧師と結婚させようとするが、知的で才気に溢れたエリザベスには到底受け入れ難い。
そんな中、彼女は2人の魅力的な男性に出会う。
そのうちの1人のダーシーは紳士然としながらも態度が鼻持ちならない。
もう1人のウィッカムに事実と異なる偏見を吹き込まれますます心が離れていくエリザベス。
しかし2人は偶然とも言える幾度かの再会の中でいつしか惹かれあっていく。
ところが積み重ねられた偏見や、プライドからどうしても素直になれず誤解と拒絶を繰り返す。
物語はエリザベスとダーシーの恋愛が障害を乗り越えて成就するかどうかを巡って展開していく。
(100分de名著HPより)
以下本文中の好きなフレーズです。
「僕が思うに、どんな気質にもその気質特湯の悪き傾向があるんですよ。生まれつきの欠点というか、どんな立派な教育を持ってしても直せないような。」
「だとすると、あなたの欠点は全ての人間を嫌おうとする傾向ですわ。」
「あなたのは」とダーシーは笑いながら応じた、「全ての人間を故意に誤解しようとするところだ」
自らは自足して屈託がなく、他人には誰に対しても親切で優しい穏やかな心から発して、かつて翳りを帯びたことのないあの陽気な明るさ
2人とも無知で、怠惰で、見栄と自惚だけが強かった
同時に、自分の虚栄心の、理性によってはまだ克服しきれていない部分も大いに満足させてくれるに違いない。
妻のおかげで味わえる楽しみは、せいぜいその無知とその愚かさを面白がらせてもらうことだけであった。
他に楽しむ術が得られないと分かれば、己に与えられたものを最大限に活用するのが真に悟りの域に達したもののとる道なのである。
この人は確かに恋をしているけれど、この人の期待する幸福はあくまでも理性的な判断に基づいている、と確信した。
この人は人から笑われることにまだ慣れておらず、これから学ばねばならないが、今すぐ始めるのは流石に早すぎる、と思ったのだ。
感心するようなフレーズが列挙した他にもたくさんありました。
BBCのドラマの方は大好きで何回かみていたのですが、小説はさすがかなり面白くて、どんどん次が読みたくなりました。
話の規模は小さいけれど、構成や人物描写が見事です。
翻訳の大島一彦さんが著書で本作を論じている中で、特徴として喜劇、ユーモアを取り上げていました。
というのも作中に何人かお笑い要員の登場人物が出てくるんですが、本人たちはいたって真面目でユーモア精神が全くない。
自分のことを客観視して滑稽に眺めることも他人の存在を喜劇的に眺めることもない。
確かに…!と思うと同時に、でも、これって相当難しくないですか。
他人を喜劇的に眺めるのはまだ比較的容易いと思うんです。自分のことを偉いと思ってても可能じゃないですか。
でも自分をメタ視点から滑稽に眺めるって、プライドが障壁になりますよね。
これ体得できている人ってどれくらいいるんだろう。
あと大島さんが言っていたことでもう一つほお〜と思ったのが、
作中でコリンズとシャーロットの結婚を古典主義的なものの象徴として、一方でリディアとウィッカムの駆け落ちをロマン主義的なものとして対比している、そしてエリザベスとダーシーの結婚をどちらも乗り越えた理想の結婚として描いているというところです。
文学史と照らし合わせてみると面白いですね。
文字ばっかりで読む気失せますね。すみません。
次はサマセットモームがあげた他の10大小説を読んでみたいなと思います。
ありがとうございました。