DDさんとの出逢いは2015年5月、

ある小さな組合の、

彼女が事務局員で私がパートとして入社したことに始まります。

小さい組合なためか、

彼女が一人でほぼ切り盛りしている事務局でした。

 

彼女は私の面接をしたのですが、衝撃的な印象でした。

話のテンポが速し、難しいし、そしておしゃれ金髪だしコインたち

 

実は、最初私は選ばれず、落ちたのですバツブルー

 

しかし一週間後、DDさんから連絡があり、

「決定した方が急遽辞退されたので、

 次点のkirawakuさんにお願いしたいのですが…」

というような話でした。

 

私は間髪入れず

『はい、よろこんでびっくりマーク

とお答えしたのです。

(DDさんは今でも「はい、よろこんでびっくりマーク」は印象的だったと言います爆  笑

 

実際働いてみると、仕事は難しく、

また指導くださる彼女のテンポと言いまわし方がきつく感じ、

そして毎日毎日、仕事の話より私的な話が多く、

覚えたての仕事、やらなくてはいけない仕事、

時間内にやるには厳しくて、

そんで完全に理解できずに時間だけがたつ感じで

私の業務はミスばかりガーンショボーン

 

そんなこんなで

『はい、よろこんでびっくりマークを後悔した日もたびたび。。。

 

私は、できない自分も許せず、

いやっ、自分はできる人だと思っていたから、

(できない自分になるのは、肯定できなかったのだと思います。)

 

できない、わからない、理解力ない、自分が苦しかった。

 

<できないのは、彼女にも原因がある!>

という不満をためてためて、つらかった。。。

 

私は間違ったりすると、

必要以上に落ち込むし、

反省するもんだから、

そのたんびに

「kiwawakuちゃん、できないことを積まないで。

 ここであなたが間違っていたとしてもあなたの責任じゃないの!

 今日できたことだけをプラスにして!」

 

と彼女はいつも言ってくれていた。

でもそのような言葉さえも、

むかつくというか、、、

逆に、

<あなたの言い方がきつい、だから私はできることもできない。>

 

と思っていた。

そんな思いをもちながらも、表面では平然を装っていたのです。

雰囲気が悪くなるのが嫌だったから。。。

 

でもそんな状況では、

偏頭痛などの体調の崩れにも表れ、

ついには,

辞めてもいいから、

言い方がきつくて嫌である、

ということを言おうと決心して話したこと 何回か。。

軽い反乱でしたよねドンッ今思えば。

 

彼女にとっては衝撃だったようです叫び

それだけ私は相手に気づかれないようにしていたのです。

二人だけで仕事しているから、雰囲気を壊さないようにしていたのです。

 

7年間の間で、

私がストレスをためて彼女にぶつける。ドンッ爆弾

こんなことを何回かやりましたグー

 

このようなことがありながらも、

いつしか二人の信頼関係は最強になりました筋肉

 

簡単にいうとそんな感じですが、濃い7年間でした。

私は踏ん張りました。

わからないことだらけだったけれど、

逃げずに踏ん張りました。

踏ん張って本当に良かったのです。

 

彼女から得るものは多すぎて、

思考や知識だけでなく、

何よりも自分自身のことを理解するようになりました。

自分が好きになりました。

 

自分が何者でどんな人間なのか、

彼女のほうが私のことを私より詳しいのです(笑)

私が不安定な時、彼女にはすぐわかっちゃいます。

(癌が発覚する一か月前に私に会う連絡をくれて、

 私のことが気になって仕方なかったと…当たっていました。。)

とにかく、

逃げることをせずにDDさんと過ごせたお陰で、

沢山のことを、

幸せを 感じました。

わかっていたつもりの幸せの何倍も幸せを感じました。

本当にありがたいです。