初めまして。40歳、2歳児のまま(ドンピシャ世代のきんぎょ注意報!からとって愛称を“ギョピ“とします。)です。
ここでは…ってプロフィールと同じ内容をまた書きそうなので
もう少しフランクに
(初めてのブログなのでお手柔らかに気楽に見ていただけると嬉しいです。)
そして、興味を持っていただけた方はプロフィールを見ていただけると嬉しいです
台湾人の破天荒な母と北海道人のとても優しい父の間に生まれ、かなり頼れるキャラ強めの年子の妹と共に育った私。
幼少期はかなり激しい波を経験しそれも今では普通になってしまい
26歳で結婚してまあまあバリバリ働いていた私は、さいわい主人とはすれ違いも多く今思うとのびのび生きていた20代30代
きっと色々あっただろうしケンカもそれなりに激しかったがここまでではなかった
そんな私達もそれなりにこじらせながら妊活をしてきて結婚12年目にして我が子を授かった
涙も枯れるほど流したし、でも今思うと本当にこのタイミングが私にとってベストだったんだと思う
長年働いていた職場を15年を機に辞めてゆったりした職場に転職をしたため、妊娠中も驚くほど穏やかだった。
今思うとコロナ禍だったからパーソナルスペースを確保されていたんだと思う。
そして息子を授かる2年ほど前に妊活があまりにつらすぎた私達の元に、可愛い犬のポチャッコ(偽名)がやってきていた。
そのポチャッコの存在も大きかった。撫でているだけで癒されて全てを穏やかなリズムで過ごせた。
そうして初めての子育てが始まり、一気に夫と向き合う日々。
寝不足に加え、一人になれない。ずっと家にいる日々。きっとそれが子育てでしょと言われればそうなのだが…
とんでもなく辛かった。
そんな私に対して今思うととても理解ある旦那は子育てをすごく協力してくれた。というより見ていられなかったのかも知れない…
正直私よりもできていたし、冷静だったと思う。
私はとにかく泣き声が辛くて苦しくてずっとイヤホンをしていた(←これものちにADHDのサインらしいと知った。)
この頃の感覚で言うと脳が限界を訴えるような感じで、“もう無理“という気持ちでいっぱいだった。
(これでよく無理っていうなっていうケンカを夫とよくした)
勘違いをしてほしくないのだが、もちろん私は息子が大好きです。大切な宝物であることは変わりありません
ここで気づいた方もいたかも知れませんが、私は母には頼ることは気持ち的に恐ろしくてできなかった。
はじめに話しすぎてしまうので少しショートカットしますが、そんなこんなで何度も激しい喧嘩をした私達。
怒鳴りあいや取っ組み合いのケンカも…本当にあの時のことを思い出すと今でも涙を堪えるのがやっとです。
なんせ息子達(ポチャッコも含む)に申し訳ない気持ちでいっぱいだった
なぜ、理解されないのか苦しすぎて産後鬱にもなりかけていて苦しくて何度夜中ベランダに飛び出したかわかりません。
夜空を見上げ遠い星に思いをはせると自然と心が癒されたんです。
最近までずっと“甘い““キャパが無さすぎる“など言われ続け、(あまりに辛かったのか記憶が実は飛んでいるのですが…)
生きていることが本当に辛かった…
すがる思いで検索してたどり着いてADHDという言葉
私にとってはそれがどうだこうだというより、私と同じ人がいるんだ…やっと私が思っていることが嘘じゃないってわかってくれる人がいるんだってことがものすごく嬉しかったのを覚えている。
やはり女性だから共感してほしいんだよね。
ずっとお前がおかしい。みんな普通にできてる。それがたまらなく苦しかったから
そしてある時、またケンカになった時に勇気を出して夫に訴えた。
私はADHDなんだと思う。今数冊本を読んでいる。一度でいいから読んで欲しいと…
その時の本が「ADHD脳で困っている私が幸せになる方法」だった。
夫は全然聞く耳を持ってくれず、病院に一度行って診てもらえというばかりだった。
それまで関連本を数冊読んでいた私はADHDには個人差があることも知っていたし
これはうまく付き合って行くものだと思っていたから正直病院に行くつもりはなかった。
なぜならかなり当てはまっていたから。
その場でなるべく冷静に話すように心がけて一度でいいからみたらすぐにわかるから読んで欲しいと
iPadにKindle本を表示して差し出した。
さいわい夫は読解力もあり、本を読むのも早いからその後数時間して落ち着いた時に読んでくれた。
あれから数ヶ月だろうか…夫が私にかける言葉が少し変わってきたのがわかる
あれっ?今までだったらここでああ言われてってやつが