昨日、同じ部活の友人にこんなことを言われた。


「とうふは、神様を恨むべきだよ。

一番努力しているのに、全然レシーブが上手くならないんだもん。

180もある上背といい、長い手足といい、バレーに向いてるはずなのに、センスがないもん。」 


これには説明がかなり必要だが、

ただ一点を除けば、彼が言ったことは、

紛れもない事実なのかもしれない。


除かなければならない一点とは、

努力すること。


彼曰く、

僕が一番努力しているように見えるそうだ。


中3の夏合宿を、高1に1人混じって行ったことだろうか?

朝練でみんなより少し早く来て、

1人でサーブを打つことだろうか?

筋トレを誤魔化さないでしっかりやり切ることだろうか?


僕は努力しているつもりは全くない。

むしろ、練習試合で1日でスパイクを100本以上を打つエースやスパイカーたち。

何本でも相手のスパイクを上げ続けるリベロ。

どんな状態からでもスパイカーにトスを届けるセッター。


ベンチメンバーとして、マネージャーとして、ベンチから見ているだけの僕は、あまり努力していないのかもしれない。


でも、周りから評価してもらうのは嬉しい。

隣の芝生は青い なんて言う言葉があるが、

本当にそう見えてしまうのかもしれない。





小学生の頃、自分の人生観を変えてくれた先生がいた。

その先生は、今まで出会ってきた人間とはまた違うタイプの先生だった。

クラスメイト一人一人に寄り添ってくれているような感覚があったり、努力することを教えてくれたり、人間として大切なことを教わった気がする。

その先生の小学生時代は、普通のものとは少し違うものだった。

ここでは伏せるが、その先生のエピソードは

「辛くなったら逃げてもいい。」

そんなことを教えてくれていたのだろう。


そんな先生から贈られた言葉が、

「とうふは泣き虫じゃなくて、感性豊かだな。」


当時は、その二つの言葉の違いがよくわからなかった。

でも今なら、少しわかる気がする。


当時の僕は、よく泣いていた。

理由は様々。

3月、先生が撮り溜めした写真を、音楽にのせて流しているだけで、自然と涙が流れていた。


「このクラスがもう終わってしまう。」

そう考えただけで、涙が流れていた。

僕はそんな自分が泣き虫で、弱い人間だと思っていて、自分が嫌いだった。


でも、

それを馬鹿にしてくる人は誰もいなかった。

自分の通った小学校は比較的、穏やかで優しい性格のこどもがたまたま多かったらしい。

そんな周りの環境で、感性豊かな僕は育った。

自分で感性豊かなんていうのは、

大変烏滸がましいが許していただきたい。


ついこないだ、

LHR(ロングホームルーム)の時間で「自己分析」をした。


部活動、委員会、校外での活動など、自分の活動実績。取得した資格。自分の長所と短所。

そんなことを書くものだった。


なかなかペンが進まない、そんな状態がクラスの過半数を超えていた。


僕の場合、ありがたいことに

委員長や主務といった役職を戴いているので

比較的書きやすかった。


ただ、長所と短所の欄はなかなか埋まらなかった。


「感性豊か」なんて書けず、「優しい」とだけ書いた。

これは嘘ではないが、本当のことでもないような気がしている。


いつになったら、僕は、感情が豊かなところが長所です。って素直に言えるのだろうか?







学生のほとんどが経験する、文房具の貸し借り。

ぼくは、軽々しく「貸して。」なんていう奴は嫌いだ。

いま、僕の隣に座っているやつは決して悪い奴じゃない。

ただ、「自己管理」という四字熟語が彼の辞書には載っていないようだ。


「筆箱忘れた。ペン貸して。」

この台詞は、一昨年、同じクラスになってから耳にタコができて、そのタコが潰れてしまうくらい聞いた。

理由を尋ねれば、「前日の塾に行って学校用のリュックに入れ忘れた。」

これ以外の返答を聞いたことがない。


何も言わずに、自分の筆箱からペンを取り出し、差し出す。

正直、ペンを貸すのも嫌々貸している。

ペンに他人の癖がついてしまう。

一度貸せば、自分が最後に触れた時とはまた違うペンになる。

自分の思うような字が書けなくなる。

自分にとってはかなりのストレスだ。


かと言って貸さないと、クラス内、学年内から何を言われるかわからない。

「ケチな奴、心が狭い」

こんなこと言われては、クラス内に自分の居場所がなくなってしまう。


結局のところ、ストレスを自分の中に溜め込み、そのストレスが漏れ出さないように、ペンを差し出すしかないのだ。


部活の同期が、1人同じクラスにいる。

彼は、「社交的」という言葉がよく似合う。

スクールカーストで言えば、頂点に近いところにいる。

かと言って、嫌なやつではない。

末っ子気質で、甘えん坊で、だから何をしても憎めない。

彼にはよく、「とうふは、優しい。」

と言われる。

消毒液をよく貸している。

コロナ禍において、必須アイテムである消毒液。

校内にもたくさん消毒液は設置してある。

それを使えばいいのに、彼はなぜか僕の消毒液をつかう。

それはほぼ毎日。

減っていけば足せばいいが、自分で持ってこいといいたい。

ただ、バレーボールという競技において、彼との関係はある程度築いておかなければ、強いチームにならない。


だから僕はまた、我慢する。


多分僕は、「使われている」人間だ。

都合よく、カースト組織の上位の人間たちに使われている。

でも、それは周りから見たら、頼りにされていると見えるらしい。


自分の考え方が捻くれているのか、そうではないのか、わからない。


僕も誰かに、違う視点を拝借したい。




人生で初めて、まともな文を書いたのは小学校1年生の夏休みだったと思う。

母親にペンを握らされて、書いてはダメだし、書いてはダメだし、それの繰り返しだった。

結局、自分の言いたいことではなく、母親の言うことをそのまま書いて提出した。

母親に文句を言うつもりはさらさらない。

おかげで、周りからは「利口な子」みたいに思われていたようだ。

 

そんな日々が遠い昔のように感じる。

もう片手で数えられなくなったその過去は、数年前には両手でも数えられなくなっていた。

そんな長い年月が経ったのに、僕の書く文章は拙く、自分で読んでいて嫌になることが多かった。特に中学時代、得意であったはず現代文の記述問題で、うまく文が書けなかった。それから、現代文が嫌いになった。

 

今、僕は自分の人生を変えることができる、大きな分岐点に立とうとしているらしい。

あまり実感が湧かないが、この現実はしっかり受け入れようと思う。

 

この前、担任と面談した時に言われた。

「とうふ君は、得意な教科とか、好きな教科あるの?」って。

「成績は良くもないし、悪くもないけど、将来何したいとかってあるの?」って。

 

得意な教科も、好きな教科もなかった。強いていうなら、英語。

将来やってみたいことはたくさんある。

でも、親に反対されるし、現実的ではない。

自分が置かれている環境からその道へ進む人間は多くないのかもしれない。

 

いろいろ考えて僕はなんて言ったのだろう。

自分がやりたいことを、実の母親に否定される。

これほど苦しいものはない。

自分の考えが甘かったのかも知れない。

きっと頭の片隅で、「母親だし、息子の夢は応援してくれるだろう。」なんて甘い考え方が、根を生やしていた。

 

面談の日からいろいろ考えた結果、ブログを始めるきっかけにもなった。

 

文才も知性も微塵もない、こんな自分が書く文章を誰が読んでくれるのだろう。

それでも伝えたい思いがあるんです。

現実世界の「とうふ」として言えない事はここでなら言える気がします。

ここでなら、とうふの角のように、脆く、儚い僕の思いも誰かに伝わると願っています。