映画館で観る勇気は無かったけど、絶対テレビでは観るぞっ!
ということで、WOWOW初放送を録画して、まず通しで観て、
それからアチコチ戻して再生して、時にはテレビに顔を近付けて、なんて邪道な観方をした、
自然豊かな高原に位置する長野県水挽町は、東京からも近いため近年移住者が増加傾向にあり、ごく緩やかに発展している。
代々その地に暮らす巧は、娘の花とともに自然のサイクルに合わせた慎ましい生活を送っているが、ある時、家の近くでグランピング場の設営計画が持ち上がる。
それは、コロナ禍のあおりで経営難に陥った芸能事務所が、政府からの補助金を得て計画したものだった。
しかし、彼らが町の水源に汚水を流そうとしていることがわかったことから町内に動揺が広がり、巧たちの静かな生活にも思わぬ余波が及ぶことになる。
今作も、
「ハッピーアワー」(2015年)
と同様に、所謂プロの有名どころの俳優は使わない
主人公巧役の大美賀均は、
ロケハン時のドライバーからの転身、そんな作品です
他にも「ハッピーアワー」に出演していたアマチュアの俳優さんが出演しています
会話のシーンはそれほど多くなく、
更に、棒読みに近い台詞、その抑揚のない言い回しが妙なリアルさと、何か不気味なモノを感じさせます
巧の娘、花
花は学童で同年代の子供たちと遊ぶことも無く、一人フラフラと森や原っぱを歩き回る
時には野生の鹿をそっと眺めたりする
そんな様子をカメラはとらえていくのですが、殊更のように「自然の美しさ」を強調する訳でも無さそう
むしろ何か怖い
まあ、私がそう感じるのは、
私自身が、登山とかハイキングには全く興味が無く、
自然を眺める、なんて退屈極まりない、と思う無粋な人間で、
でも田舎育ちだから、自然は恐いよ、って知っているから?
そもそも、
何かこの映画に映されるモノ、全てがヘンだし、イヤなんです
音楽も不穏です
主人公、巧は戦後ここを開拓した家の3代目
この地域はヨソモノの集まりだ、と言います
自称「便利屋」、いつも無表情です
薪割りも水汲みも淡々とこなし、動植物に詳しく、ケガの手当ても上手い
地元住民を集めた「グランピング場説明会」では、冷静に論理的に問題点を指摘し、対案も出す
一方で花のお迎えをしょっちゅう忘れているようです
説明会の予定も忘れていて、
うどん屋の主人は「忘れ過ぎですよ、巧さん」
花が行方不明になってもパニックにはなりません
花の生命力を信じているようにも見えますが、一方で、
感情もどこかに置き忘れたのか?とも思わせます
巧の家は父子家庭です
家にはグランドピアノがあります
アップライトではありません、グランドピアノです
私の知ってるグランドピアノのある家は、プロの演奏家か、江戸時代の御典医の末裔ぐらいでした
その上にはピアノを弾く妻と娘の写真
妻を喪ったばかりなのか?
地域的に四駆は必需品でしょうが、乗ってる車は装備も高そうです
本人も「金はある」って言ってました
でも、
人にうどんを奢ったら、本人の承諾無しで水汲みを手伝わせます
ついでにタバコを持っていても平然と貰いタバコします
常に何か対価を求めるような人間
「バランス」と説明会で口にする、彼なりの価値観なんでしょう
グランピング場の杜撰な計画も、それを企画した弱小らしい芸能事務所の社長やコンサルタントの言ってることも、その横着な態度もヘンなんです
そこは徹底してそう描いています
説明会には、
住民側は真っ向反対、ではなく、まともな対案まで出してくれているんですけど、
「説明会を実施した」という実績(補助金対策)と反対する住民のガス抜き目的の説明会では、何も問題は解決しません
しかも説明会には、本業はマネージャーと前職は介護士の若い男女社員、グランピングに関する知識もないし決定権もない高橋と黛が派遣されただけ
社長もコンサルタントも出席しませんでした
これからもその姿勢は変えないし、お金をかけたくも無い
高橋と黛は、住民の訴えに向き合おうとします
その結果、会社を辞めようと考え始めます
二人はまだまともな人間、と言えますし、
無責任な立場だから、とも言えるかもしれません
でも、彼らも本質的な部分は理解出来ている訳ではありません
だから、巧に再び会った時、
巧の「(鹿の通り道にグランピング場が出来たら)そのとき鹿はどこへ行くんだ?」に対して、
高橋は「それは・・、どこか別の場所に」ってサラッと言えちゃうんです
「バランス」とれてる?
でもこんなヘンな理屈、勝手な言い分が通って、役所もOK出してきた
それで日本の経済は、あのコロナ禍も含めて、回ってきたのかもしれない
話が逸れました
高橋と黛が町を再度訪れ、巧にうどんをご馳走になり、水汲みを手伝っていた間に花が行方不明になりました
巧がまたお迎えを忘れたんです
日が落ちる頃、地区の住民総出で捜索が始まりました
血相を変えて走り回ってくれる青年がいます
高橋と黛も手伝います
怪我をした黛を巧の家に残し、巧と高橋は山の奥深くへと入って行きます
林を抜けた先、草原で花の後ろ姿を見つけました
その先に、鉄砲に撃たれ傷つき横たわる若い鹿ー遠目にもその出血がはっきり見えますーと、それに寄り添うように立つ立派なツノの鹿、近寄ってはいけない危険な状態
それに近付いていく花
そこに声をかけようとする高橋を手で制した巧
と、巧はその高橋に飛び掛かり、首を絞め落とす
高橋が気を失い、巧が立ち上がると、既に鹿は消え、花は意識を失って倒れていました
巧は花を抱き抱えると草原の向こう側の林の中へ走って消えて行きます
木々の上には明るく輝く月、慌しい巧の足音と息遣い
やがて、その月も木々の間から見えなくなりました
これが噂に聞いた、「悪は存在しない」の訳の分からないラスト、「暴力性の噴出」です
濱口監督は、このラストの解釈を観る人に委ねたそうです
でも、そう言われてもねえ
「訳分からん」以上の答えは私には出せません
もと来た方向に戻れば花は助かるかもしれないのに、何故巧は先に進んだ?
向こうに診療所があるから、な訳ないですよねえ
「悪は存在しない ラスト」で検索すれば、いろいろ出てきそうですが、それは後のお楽しみ
こういう映画もあるんだ、ということで終わりにしたいと思います