空は青く、誰もが笑顔で、子どもたちの楽しげな声が聞こえてくる。そして、窓から見える壁の向こうでは大きな建物から煙があがっている。時は1945年、アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす家族がいた。
壁ひとつ隔てたアウシュビッツ収容所の存在が、音、建物からあがる煙、家族の交わすなにげない会話や視線、そして気配から着実に伝わってくる。
その時に観客が感じるのは恐怖か、不安か、それとも無関心か? 壁を隔てたふたつの世界にどんな違いがあるのか?平和に暮らす家族と彼らにはどんな違いがあるのか?
そして、あなたと彼らの違いは?
ドイツ人は一般市民でも、収容所送りにしたユダヤ人の財産を奪い取っていた、それは当たり前のことで、誰も痛痒を感じない
「ホロコースト」は極悪非道な人間ではなく、ごく普通の人間が起こした出来事というお話
アウシュヴィッツ収容所所長ヘス一家
24時間稼働している火葬場の音、悲鳴、銃声、怒声
ユダヤ人の歯で遊ぶヘスの子供、庭の花壇の肥料は遺灰
アウシュヴィッツの女王と呼ばれて悦に入るヘスの妻
あんな所に住んでいるから段々おかしくなっていく家族のお話
だけではなかった映画「関心領域」
極力前情報を遮断して観ましたが、途轍もない映画を観せられたこの不安感は何なんだ?となります
映画中盤、
サーモグラフィーカメラで撮影されたそうですが、幻影のようにも見えた、深夜何かを土手や草むらに撒いている地元ポーランド人の少女の姿
ヘス所長が馬で分け入った草むらのそここに落ちていたリンゴは、作業で塀の外に出た囚人が争って拾い食いしようとしていたリンゴは、彼女の仕業でした
そして、映画終盤、
まるで支店長会議みたいな、各地の収容所長を集めた会議?
成績優秀者が褒め称えられ、更にノルマがキツくなるぞと議長が発破をかける
出世したヘスは、ストレスでしょう、オエーって吐きながら暗い階段を降りて行き、ふと目を向けた先は、現在のアウシュヴィッツの博物館内
まだ開館時間前のようで、職員たちが無表情に掃除機をかけています
何なんだ?ですよね
そこで、ジョナサン・グレイザー監督の言葉などを探してみると、アカデミー賞のスピーチで何か重要なことを語っていたようです
幸い、まだアカデミー賞授賞式の録画は残っていました
国際長編映画賞(外国語映画賞)の受賞スピーチ、
WOWOWの字幕です
「スピーチを読みます」
「アカデミーとA24とフィルム4に感謝します」
「ポーランド映画協会とアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館、製作者と俳優の皆さんにも」
「過去の過ちより、今まさに起きている問題を訴えようと決意しました」
「人間性の喪失が招いた最悪の結果を描いています」
「現在、ホロコーストを理由にして何の罪もない大勢の人々が苦しめられています」
「10月7日にはイスラエル攻撃で多くの人々が犠牲に、さらにガザで続く悲劇に立ち向かうべきです」
「本作で選択し行動したアレクサンドラ、彼女の思い出と抵抗にこの栄光を捧げます」
ガザに触れた時の会場内のなんとも言えない雰囲気、
遠慮気味の拍手
ハリウッドの微妙な立ち位置がよく分かるシーンです
さて、
少女が命懸けでリンゴを撒いていくシーンは実話だそうで、
少女の名前はアレクサンドラ
グレイザー監督がこの映画を作る際に出会った老女、アレクサンドラ自身の体験です
また少女がピアノ曲を引くシーン、歌ってはいないのに日本語字幕がついたあの不思議なシーンは、アレクサンドラが落ちていたユダヤ人の楽譜を拾っていたという実話に基づいたようです
グレイザー監督は、ガザ(だけではないでしょうが)で無辜の人々が殺されている、無関心でいいのか、アレクサンドラのように何事か行動を起こさないのか、と問いかけてきました
身の回りの居心地のいい所だけに関心を寄せていてはダメだ
不快だが目を背けてはいけない現実を直視し、何か行動せよ
「関心領域」のテーマのようです
アウシュヴィッツ博物館の掃除のシーンも、
ここに展示されているホロコーストの証拠、
それを眺めるだけでなくその先の行動へ、ということでしょうか
う〜ん、重いですね
若い頃ならいろいろやりましたが、
今はもう膝が痛いんで、あとは若い人よろしく、
ではダメでしょうか
最近日本でもイスラエルのガザ侵攻に抗議するデモがありました
そんなニュースに、遠い日本でデモなんかやっても何の役にも立たない、と冷笑する著名人がいましたが、
せめてそんな人間にだけはならないよう、心掛けましょう