NHKBSドラマ「舟を編む 〜私、辞書つくります~」第6話で、
「すっげえ昔の 両手がない女の人の映画。」の話が出ました
2017年の辞書編集部のバイト、
ゲイの大学生、天童君が子供の頃、
近所の市民センターの無料上映会で、配られるお菓子に釣られて観た映画、だそうです
この映画のことでしょう
サリドマイド禍を克服して、熊本市職員として働く辻典子さんの半生を本人の主演で描く。
脚本、監督は「ふたりのイーダ」の松山善三、撮影は石原興がそれぞれ担当。
昭和37年1月、典子はサリドマイドの影響を受け、両肩の先に少しの指がついた状態で誕生した。
前途を悲観した父親は医師に典子の両肩についている指の切断を切望する。
出産直後の母親には、産まれた状態も指を切断されたことも知らされていなかった。
母は運命を嘆いた。
しかし立ち上がった。
ありのままの身体で何ができるのか、、力の限り生きていこうと決心する。
両腕のない典子の小学校入学の壁は厚かった。
知能も健康にも優れているのに両腕がないというだけの理由で、養護学校も小学校への入学も拒否されてしまう。
母は何度も何度も小学校へ出向き典子の入学を懇願する。
その熱意で典子は念願の小学校への入学を果たす。
学校では優しい友達、見守る先生たちがいた。
高校を卒業した典子は社会へ旅立つ時を迎える。
そして熊本市役所へ26倍の難関を突破して合格する。
希望と不安を抱きながら社会人として歩み始める。
そして典子は、ひとり広島へ旅に出る。
母の反対を押し切り、文通をしていた友の所へ出かける。
母のもとを離れ、自分だけでの旅、切符を買うことも食事をすることも全て自分の力で何とかしなければならないのである。
典子の旅は自立の旅でもあった。
調べてみたら、1981年の邦画興行収入第2位、22.1億円でした
ネットには、
天童君のように、子供の頃小学校などの上映会で観た、とか、
親に連れられて映画館に観に行った、
などという経験談も多い作品です
私は公開当時既に成人で、都内の映画館で観たのですが、
客席はガラガラ
そんなにヒットしていたとは、今まで知りませんでした
さて、この作品を観て私はどんな感想をもったのでしょうか?
40年以上も前なので、はっきりとは覚えてはいないのですが、
多分こんなことを感じたのではないのか、と思われます
頑張れる人を讃えることは正しいが、
そこから、頑張れない人を貶すような思考に陥いることが怖い
だから、このような作品の取り扱いには特段の配慮が必要
そして、都合の悪い部分をないことにするような演出には要注意
観ていない人には全く伝わらない感想ですが、
これを詳しく書くと長文になりそうなので、
やめておきます
因みに天童君は、エンディング曲の、
「互いに手を差し伸べ」
という歌詞に怒って会場を飛び出したそうです
子供心に自分は少数派、と感じていた天童君には、
まさに少数派の典子さんを描いた映画で、
多数派の健常者のその無神経な言葉の選択が許せなかった
彼はそう語ります
天童君にそう語らせた、
脚本家の蛭田直美さんご自身の体験なのでしょうか
「典子は今」主題歌
■友達 愛のかたち しあわせ ひとりひとり
■たがいに手をさしのべ 明日を語り合おう
作詞は松山善三監督です
現実の典子さんは、熊本市役所に25年勤め、
結婚して二人の子供のお母さんに
その後、市役所を退職、講演活動を始め、本も出版
還暦を過ぎた現在の典子さんは、
IT事業の会社スマイルビーを立ち上げ代表取締役を務めています
ドラマのワンシーンから、思いがけずたどり着いた、
私の拗らせたような感想も、
天童君の幼い義憤も軽々と飛び越えたような、
現実の典子さんの活躍ぶりです
懐かしい映画「典子は今」、