幼い時 友達から、

言葉で言ってくれなきゃ分かんないよ

と言われて、



え!!!

‥そうだったのか

分からないのか‥



カルチャーショックだった



人は話さなくても通じたり、分かり合ってるって思って生きてたから。

動物や風や地面や、なんでも気持ちを合わせれば通じ合えると思ってた。

(あ、今もです)



それから、言葉にするように意識した。

相手に伝わってるか気になる、

何を感じてるんだろうーと不安もうまれた。



言葉と感情がどうにも繋がらない。

私は感情を知らない人間なのか、ヤバイな。怖いな、と思ってた。



言葉にするのは今でもニガテ。

でも絵なら。

どうやら見る人それぞれに、感じたいことが伝わっていくようだぞ?



質感、陰影、物質的な視点でみたら稚拙な私の絵。

あり得ん色も置くし、

デッサンの石膏像が柔らかくなっちゃったりするから、

しょっちゃう先生に上から描き直されてたっけ。



思春期も重なり、静かに反発したよ

誰も私を分からない!って。



じゃあ上手く描いてみよう!とすると

中身を見失ってしまう。

絵も私も 何だか抜け殻になる。



なぜならば。

認められたい気持ちからうまれてた行為だった!

形にハマれば、(先生に対して)

何者かに成れば、(親に対して)

同じ格好して いつも頷く人でいる、(友達に対して)



何をしに地球に来たの?

自分の心を よーくよーく観察してたら

ふりだしに戻ってきた。



感じて見えてくる色や想いに、素直に反応しているだけ

それだけ がとても楽しく、豊かな時間だったんだって

私が教えてくれた。







Artの在り方はたくさんあると思う。



ただ、私の描き方、やりたい表現のし方はこんなだったんだ。

そこが分かってきたら、とても心が軽い。



違いがあっただけ。



先生も、親も、友達も、悪い人、悪い行為、なんて何一つなかった。



全てに

正しい・間違い、もなかった。