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知覧特攻の母 鳥浜トメ 孫 赤羽潤のブログ

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・・知覧 特攻隊と鳥濱トメ・・





知覧から出撃した特攻隊は昭和20年3月30日から6月11日迄でした。その間、鳥濱トメはどんな思いで実の息子の様に可愛がった特攻隊員達を見送っていったのでしょう。しかし、実は鳥濱トメの真の苦労は戦後にありました。

祖母のトメは戦中、軍指定の食堂「富屋食堂」を営んでいました。当時、物が無い時代に特攻隊員達のお腹を満たしてあげるため家の家財を投げ売り食材に換え、テーブルいっぱいにご馳走を並べてあげました。特攻隊員達は「こんなご馳走食べさせてくれるのは嬉しいけど俺達はそんなにお金は持ってないよ。」すると、トメは「男の子がお金の心配なんかするんじゃ無いの」と、言い特攻隊員からはお金は一銭ももらいませんでした。
トメが私によく言ってました「私はねぇ皆のお母さんになりたかったの」。
そして、出撃の時には見送りに来る事が叶わない隊員達のお母さんの代わりに飛行場まで都度見送りに行きました。
トメは特攻隊員達の心を自分の心で優しく包み心の奥底の声を聞き、受け止めてきました。
戦後、トメは「あの子達は、もう本当の事を語ることが出来ない」と言い、毎日特攻観音堂に足を運び手を合わせ、語り部をしていました。
夏の暑い日照りの日も、真冬の凍るような寒い日も、雨風の強い日も片手に杖を突き、もう片方の手には線香と花を持ち傘も差さずに雨に濡れながらの慰霊の日々でした。1年365日1日たりとも欠かした事はありませんでした。

私にとっての祖母・鳥濱トメは、本当に優しすぎるぐらい優しく、そして深い愛情を注いでくれました。その事は今でも私の心に刻まれています。

きっと今頃は天国の富屋食堂で散華されました特攻隊員達と鳥濱トメとで肩を組み、皆笑顔で「同期の桜」のを唄っている事でしょう。
今の日本を見守りながら・・・

合掌。

知覧特攻の母 鳥濱トメ 孫
赤羽 潤より