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当地では

葉桜となり

花水木が咲き始め

小手毬も花が咲き

 

ジャスミンも蕾みが膨らみ始めました

 

さまざまな花が咲き始めて

春爛漫

 

ですが

毎年

春は

寂しくもあります

 

今日は

実父の命日

数日後には

母の命日

なので

桜の花が満開のころには

2人の

最晩年の姿

花を愛でる気持ちの余裕も

なかったことを

思い出して

ふと

悲しみと寂しさとも重なるのです

 

でも

月日の流れは

そんな気持ちも癒やしてくれて

あっ!

父が亡くなって何年なんだろう

位牌の裏に書かれている

没年を確かめる自分もいます

平成○○年と書かれているので

西暦に換算して

引き算して

○年経ったのかぁと

再認識

 

月日が経つのは

本当に早いです

 

今日は

お花を添えて

 

いつも通り

お茶のお稽古に

行きました

 

父は

多発性脳梗塞と脳幹梗塞で

17年間介護が必要でした

母が主体で頑張って在宅介護をしていました

私も子育てと介護とが重なる日々

 

発話ができなくなって

嚥下ができなくなって

流動食を

のどからカテーテルで

毎食注入したのですが

いよいよそれも難しくなって

胃瘻をするかどうか

の決断をしなくてはならなくて・・

 

最期の2~3年は

胃瘻(いろう)をしたばっかりに

(父は拒否し、母がしてくれとお願いしたのですよ)

父にとっては生き地獄だったのでは

ないだろうかと

いまだに思うのです

意識もあり

頭は認知症になることなく

最期までしっかりしていたので

母は父にもう少しという

思いもあったのでしょうが

 

子どもの私からみると

どれだけ

介護していても

エアーマットをいれても

拘縮や

床ずれもひどくなって行く姿を見るのは

辛かったです

 

本人にとっては

もっと辛かっただろうと

 

皮膚科の先生が往診してくださって

ガーゼ交換にしてくださる様子を見る度に

人間も腐っていくんだなぁと

感じたことを今でもおぼえています

 

私は

寝たきりになって食せなくなったら

胃瘻はせずに

この世を去りたいと

思っています

 

 

自宅で父の最期を看取るつもりだった母は

体制を整えていたのですが

それでも

やっぱり怖くなって

最期急変したときには

救急車をよび

(呼んでしまい?)

病院に運ばれ

その後2週間ほどで

父は亡くなるのですが

 

介護を通しての

書き切れない

いろいろな葛藤や

 

介護が終わることは

一つの命が終わることとイコールで

 

介護からの解放が

悲しみと直結する

これまた

言語化が難しい気持ちを

父が亡くなった後も

長く引きずり

春の花を見る度に

ふわりふわりと

温まる春の感覚と共に

なんとも

もの悲しい白黒の風景に

見えて

チクリチクリと

心が今でも痛むのでした

 

命日なので

ふと

思い出しました

 

普段は元気なんですよウインク

お読み頂き

ありがとうございます。

 

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