私の散歩道

私の散歩道

何でもありの、雑多な内容です。

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レジ袋が有料になりましたね。


だからって、入れるものは必要だから、
買い物袋自体が売っている。

それだって、けっこう値の張るのもあるし、
100円ショップのだとしても、

けっこうな頻度で使うものだし、
駄目になれば、買いなおすわけで。



環境保護の観点から言ったら。

有料でなく、レジ袋使えるうちは使って、
レジ袋断った人にポイントあげて、

ポイントたまったら買い物券になるとかの方が、
袋の使用数は減ると思う、、、、。


というか、私程度の頭のが思いつくことを、
この政策決めた人は考えなかったのかな。


レジ袋、撤廃したとしても、
今まで、買い物に使いまわすのでなくても、
生ごみ捨てるのにいったん入れたりとか、
別のことに使いまわしてから捨てる場合だってあったし。


全部が全部、不必要だ、っていうわけではないと思うんだけどな。


ほんとに撤廃したいなら、
家で出た不要のTシャツとか、袖切って、首と肩のとこ縫って閉じて、
袖で持ち手つければいいのよ。

汚れても惜しくないし、
もともとごみを、徹底的に使い倒してるだけだし。



江戸時代はリサイクルで成り立ってたって聞いたことあるけど。


コロナで、マスク作ったり、

食糧流通に問題感じて、家庭菜園が、とか、

時代は手作りに向かってる?

 

 

 

 

でも、そういう手作りのものの方が、

愛着があって。

 

タダなのに、

有料で、顔の見えない商品より、「価値」はあるかも。

 

 

5月5日 

 

きょうの、散歩道で出会ったお花。

 

 

 

 

その季節、その時に咲いている花で。

 

 

 

 

そのときキレイだな、と思った花で。

 

 

 

 

そのとき、この花とこの花、合わせたら

 

可愛いかな、

 

素敵かな、

 

と思う組み合わせで。

 

 

 

 

そのときの気分で。

 

 

 

ざっくり摘んできて。

 

 

 

花瓶を買うでもなく。

(使いづらくてもう使ってないプロテインシェイカーが花瓶)

 

 

 

摘んできたから、ちゃんと活けなきゃいけない、ともおもわず、

 

そのまま ぽん、と水と一緒にいれるだけ。

 

 

 

 

とくべつ、用意しなくても、

 

素敵な時間。

 

 

去年後半に、一度、

 

台所の大掃除をして。

 

 

 

タッパの、蓋と、本体のつじつまを合わせ、

 

どちらかがない物に関しては、捨てたのだけど。

 

 

 

洗い終わった後、

その場その場でつじつまあわせをしないで、

 

タッパー置き場にしている棚に置いてる我が家。

 

 

蓋が見つかりづらくなってきたので、

久々に、整理整頓をかけた。

 

 

 

蓋も、容器も、捨てた覚えがないのに、

 

やっぱり合わないものが出る、、、、。

 

 

 

 

主人に聞いても、「俺も捨ててないよ」

 

 

蓋か容器どちらかを隠す

 

「タッパー妖怪」でもいるのかしらん?

 

タッパー妖怪

 

タッパー妖怪

 

最初は、とっととこの騒ぎ終わってくれないかとしか、思わなかった。

 

 

 

やっぱり、

 

「いつもの日常」が壊される

 

のがイヤだった。

 

 

 

 

そのあと、

備蓄や、災害を考えるのに、

 

「教訓的に」

 

コロナ騒ぎを捉えて。

 

 

 

 

そんなことを踏まえて。

 

 

 

 

現在。

 

 

そういう生活に慣れてきた、というのもあるけど。

 

 

 

ものすごくゆったりとした時間を過ごしてみて。

 

 

 

 

忙しい現代人に、

 

もっとゆっくり生きていいんだよ、

 

そんなに仕事しなくたって、生きていられるんだよ、

 

 

ということもメッセージとしてあるのじゃないか? と思い始めた。

 

 

 

コロナ騒ぎが始まる前と同じように、

相変わらず仕事は行っているけど(どう転んでも自宅でできる仕事ではないので)。

 

 

趣味でやってる運動は、

 

ジムは閉鎖されちゃったので、自宅でできる筋トレか、ウォーキングが主。

 

 

 

ジムに行ってたときは、それなりに

「この時間に行かなきゃ」

 

があったけど、、、、

 

 

いや、ウォーキングに代っても、

「この時間に行かなきゃ」はあるけど、、、

 

 

家に居る時間は増え。

 

 

 

隙間時間が多くなり、同じ掃除するにも余裕があり。

 

 

この余裕、って、今まではやるにしてもだ~っと目につくところだけ、だったのが、

 

今日なんて、一か所だけだけど、コンセントのカバーまで拭いたり。

 

(ま、でも全部やるって気力は出さないけどね。

 

 目につく気持ちの余裕ができたってことね)

 

 

 

主人が頼んでくる家事(カラーボックス作ったりとか、通常でないもの)も、

 

言われたら、今まではどこの隙間時間でやろう、と気持ちあくせくしてたのが。

 

 

 

受け止めるときの気持ちが、ゆったり。

 

 

 

 

 

それで、主人といる時間が、なんか良い。

 

 

 

別に、お互いが普段やってる仕事や運動を、

 

一緒にやるわけではないんだけど。

 

 

 

 

ジムに行きたい気持ちもあるけど、

 

ゆったりした時間が、このまま続くのもいいなあ、

 

なんて思う、今日この頃。

 

 

三男は、現在受験勉強真っ最中。

 

 

塾に通っているものの、

コロナ騒ぎで自習室も閉鎖。

 

 

自宅で勉強するまいにち。

 

 

昨日は、スカイプで授業があるから、と

他にもパソコンあるのに(母親である私のパソコンにはその機能がないのか?)

主人の仕事で使ってるパソコンがいい、と

 

主人の仕事をやりくりさせてパソコン占領。

 

 

受験生に甘い、、、

受験生だからといって、ワガママを許していいのか?とも思うけど。

 

 

 

我が家は、これでいいんです。

 

 

「自分が思った通りにやっているのだから、

 

(例えば受験は)合格してもしなくても、結果は、本人の問題」

 

 

 

こないだも、

朝、「この時間に起きて」そのあと勉強する、と計画してた当人。

 

 

「〇時に起こしてね」と言って、

〇時に起こしたものの、起きれず。

 

 

次に、何を言うかとおもえば

「ラーメン作って、、、、」

 

 

朝から、、、、? 

 

とは思うものの。

 

 

本人、のびる前に食べなきゃ、

という気力で起きる気である。

 

 

 

けっきょく、ラーメンができて。

 

 

それでも起きれず。

 

 

30分後、

やっと起きて、

 

目の前ののびたラーメン。

 

 

 

自分で、言ったんだから、食べなきゃ、と思ったらしく。

 

 

ひとくち、ふたくち食べ。

 

 

「お腹空いてなかったから、残していい?」

 

 

 

 

も~、怒ってないのに、「食べなきゃダメ」と、自分で思ってる。

 

 

自分の思う通りにさせてると、

自分の中に「常識」「親だったら、こう思うハズ」を作って、

それに違反したとこは、自分で謝ってくる。

 

 

 

母親からすると、すっごくカワユイ~~~。

 

 

 

ワガママに育ててるけど、

あんがい、当人からすると、

「自分の思った通りにさせてもらってるのだからこそ」逃げ道はない。

 

 

勉強したいから塾行きたい といったときに、行かせなかったら、 

「行かせてくれなかったから勉強できなかったんだもん」 

 

そりゃ、たしかに、子供の言い訳だけど。

 

 

勉強したいから、勉強部屋作って、といったときも、

主人はお金かかっても「あのときやってくれなかったからと親のせいにされるよりいい」と、

プレハブだけど建て。

 

それさえ、冬になって寒くなって(ちゃんとストーブとか用意しても)

母屋の方がいい、けどお兄ちゃん邪魔(社会人になって、家から会社に通っていた)と、

「会社に近いとこに引っ越せばいいじゃん」と厄介払いし。

 

(これはちょっとやり過ぎだけど、

お兄ちゃんの方も、「ま~、寝る時間増えるし~」と受け入れてくれた)

 

 

 

そのくらい甘い状態でないと勉強できない、

勉強に追い込めない、自分に気づいてないんだろうなあ。

 

 

 

ま、そのうち、社会に出れば

甘やかしてもらってた、って気づくだろうから、今はそれでいい。

 

 

 

 

※断り書き

 

きちんと、最初から最後まで観賞した感想ではありません。

 

家事しながら~、画面みずに、

たまに他の部屋に行ったり~、と、

抜けもある状態で見ている(聞いているといったほうがいい?)ので、

勘違いしたところもあるだろうな、という上での感想です。

 

 

 

『この世界の片隅で』

 

好いた人ではなく、

見染められて知らぬ人と結婚した主人公。

 

絵が好き。

でも、戦災でその絵も描けない状態になる。

 

夫に、知らところに嫁に来てもらったけど、

ほんとうに主人公を妻にしてよかった、と言われたり、

 

絵が認められるも、

それは別の人の名誉になったり。

 

 

嫁いだ先のお姉さんが、

自分のやりたいようにやって生きて。

 

主人公は、人に生きる道を言われて生きていて。

 

 

 

観ていないけれど「世界の中心で愛を叫ぶ」という映画あったと思い出し。

 

タイトルだけの判断だけど、

「自分が、声をあげずにいられないほど好き」と自己主張するようなイメージ。

 

 

 

「片隅で~」の主人公は。

 

自分で愛を主張しないけれど、

周囲が主人公を花をめでるように、

見ているものが、愛を感じずにはいられない。

 

 

 

自分の願う人生を生きるのが幸せという価値観だけでなく、

 

人の望む人生を歩むことで、己が活きる方法もある、と感じた映画。

 

 

けど、きっと、本人は、そんなことも感じていないのだろう。

 

 

裏サンデーという漫画サイト。

 

 

 

自分で漫画を買わなくなって、

 

(買いたくないというより、本屋で物色するのが面倒になって)

 

でもちょっとした時間に読みたいときに活用。

 

 

 

ここのとこUPされたので、

「ぼっちのエースをリードしたい」というのがあって。

 

 

 

主人公の内面と、

周囲の評価がまるきり違うのが、ひとつの特色。

 

 

そこらへんが面白くて、読み続けている。

 

 

 

読書好きな主人は、

サイトでもチェックしているようだけど、

面白そうとなると、購入に踏み切る。

 

 

主人がこないだ買ってた漫画。

 

「保安官エヴァンスの嘘」

 

 

 

まだ私は1巻読み始めたばかりだけど、

 

これも、主人公の内面と外面が食い違う話。

 

 

 

最近の流行り(話のテーマは違うけど、舞台は異世界とかは流行りでしょ?)なのかなあ、

と主人にきくと。

 

 

(私は世の中の流れとか大局をつかむのは苦手なので)

 

 

 

「う~ん、たまたまじゃない?」

との返答。

 

 

 

よくみると、同じサンデー系。

 

 

 

う~ん、

担当さんが、

たまたま同じテーマを作家さんに与えたとか?

 

 

なんて、考えるのが、スキ。

 

 

 

 

 

 

 

私の散歩道、と言ってみたけれど。

 

 

誰でも、通れる道です。

 

 

当たり前ですけど。

 

 

 

たまたまそうブログタイトルをつけただけだけれど。

 

 

それを考えながら、

 

きょうウォーキングしていると。

 

 

 

道端に、いろいろな花が咲いていて。

 

 

もう何年も走ったり歩いたりしている道なのに、

花を摘んだことは数回。

 

 

 

 

 

花瓶もないので、

ガラスの急須に活けてみました。

 

 

 

矢車草と、菜の花は名前わかるけど、

ピンクの花はわからない。

 

花の紫とピンクだけだと、華やか過ぎて足し。

 

 

アクセントに、粒々の先っぽの。

 

それで、葉っぱはなんとなく、鈍い赤の入ったのがよくて。

 

 

 

通る道は、同じだけれど、

同じことを考えているわけではない、

 

歩く人もいれば、

走る人もいる、

 

自転車で、

お友達、カップル、孫を連れたおじいちゃんおばあちゃん、

犬の散歩、、、、、

 

写真を撮っている人もいれば、

川べりなので、釣りをしている人もいる。

 

 

 

 

なんとなく、

「人生の目標」がないのはサミシイ、

「人と違った、自分だけの道」がないかと、どこかで思っていた自分を感じ。

 

 

人と、同じ道でいいんだ、

 

ただ、どう通るか、

どんな気持ちで人生を過ごすか。

 

 

 

そちらの方が、私には重要だったんだ、と思い。

 

 

人と約束で忙しいとか、仕事で目いっぱいとかいうあくせくとは意味が違う、

「あくせくした気持ち」「そわそわした気持ち」で過ごしていた今まで。

 

 

それは、自分にオッケー出せなかった自分。

 

 

 

ただ、過ごし方、だったのかな、と。

 

 

 

 

 

食事の支度をしているときに、

胡桃をつまみ、

ピクルスをつまみ。

 

(これからご飯だというのに・笑)

 

 

不思議と、

胡桃とピクルスの組み合わせが、

美味しいことに気づいた。

 

 

つまみ食いで、たまたまの発見。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

いつもの散歩道には、

猫がたくさん集まっているところがあって。

 

 

勝手に、「猫だまり」と呼んでいて。

 

このブログに、写真載せたいな、と

ここ何日か、いつも猫たちがたむろっている処に差し掛かると、

携帯のカメラの準備をしてたのだけど。

 

なぜか、いても1匹くらいしか見当たらない日が続き。

 

 

きょう、その理由が判明した。

 

 

動物保護団体のジャケット(らしい)を着ている人たちが、

あとの数匹を保護しようとしていた。

 

 

いいことなのか、

悪いことなのか、わからないけど。

 

野良の猫たちに、餌をやる人たちがいて。

 

 

お腹を空かしている、

可愛そう、

可愛がりたい、

 

という善意なのはわかる。

 

 

でも、

 

避妊もせずに、

増えたら増えっぱなし。

 

 

 

餌をやるところまでは可愛がるけど、

 

怪我したり病気したりしても、

 

たぶん病院には連れて行かない善意。

 

 

 

動物保護団体の方たちが、

どう猫たちを養っていくのかは知らないけれど。

 

 

私が、この道を通るようになってから、もう10年以上。

 

もう、ずっと猫たちがいるものと思っていた。

 

 

 

 

あと、たぶん。

 

 

飼わずに可愛がるより、飼って可愛がるほうが、楽しいよ?

 

(家で猫アレルギーの人がいるから飼えないとか、物理的に無理な場合を除いて)

 

 

 

 

 

ウチでも猫を飼っているのだけど、

 

(私が飼おうといったのではなく、主人が知人から譲り受けた)

 

餌をやって可愛がる、というだけの存在じゃなく、

 

もう家族だね。

 

 

 

家にいなけりゃ、どこ遊びに行ったんだろう、とか。

 

気が弱いくせにして、

ケンカしてくるものだから心配したり。

 

女の子なんで、

も~、娘扱い(笑)

 

 

 

なんでなんだろうね、

 

同じように、可愛いと思って、餌あげたり、世話してるのにね。

 

 

すくなくとも、私は

自分で貰ってきた猫でないので、

 

最初はその辺の野良と同じで情はわかなかった。

 

 

 

不思議なものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

葉桜ですが、

これはこれで、うす桃色と、黄緑色のコントラストがステキ

散歩道はいつも同じだけれど、

 

同じなのはルートのみ。

 

その中での変化を楽しみたい。