駅に着いて

2分ばかり歩いて

アパート

集合ポストの101の中身を確認して

ポケットから鍵を出し
ガチャリ
ドアを開けて

靴を脱ぎ
短い廊下と部屋を
まっすぐ抜けながら
かばんを床に置いたり
帽子を脱ぐなどし

突き当たりの窓まで行き

立てかけてある防音のボードをずらし
カーテンも開けて
窓、小さくスライドさせて

わたしは首をのばして
軒下

洗濯機や小皿と小皿のカバー代わりの箱と三つ並んだ鉢を見る。

帰宅が夜であれば
最近は
コンクリ製の軒下のどこか、
黒白のあの猫が
待っていることが
多いです。

こないだはごろんと横になったりしていて

ぐっときました。


まあ
わたしを見ても
鳴いたりしませんし
寄ってくるわけでもありません。

基本的にはふれあいはないのですよ。

でも
(ごはん係)
待っている状態は

正直うれしいったらないので
あの猫用のちくわ(ちぎったやつ)を
出してきて

それを食べている猫の丸い背中を
眺めて
わたしは
すこしやわらかくなります。

食べおわると
最近はめっきり
そそくさと
去っていきます。

ふりかえったりもしません。

息子が中学生になって最近やけにわたしにそっけないのよねぇとため息をつくお母さんみたいな気持ちをいっとき味わえます。


これでいい
と思ったりするです。


ちなみに
小皿のカリカリを
通りすがりで食べにくる猫たちのなかには
黒ずんだキジトラ柄の子がいて、そいつはけっこうガタイが大きくって 食べながら小皿が入ってる箱ごと動かしてしまう勢いです。

なんか悪役っぽいです。

部屋に飛び込んで来たらこわいな、でかいし。
とか考えてしまったりします。


黒白のあの子が
部屋に飛び込んでくるんなら
それはかまわないけども

とか
思うような思わないようなかんじで

日々は過ぎて行くのだと思います。












昨日働いたので
また連休です。

有給休暇と普通の休みを組み合わせています。


うむ。

こないだまで
手紙みたいに書いていた文章は

途中で終わるのも気持ちわるいし

ちゃんと潜らないといけなかった(なおかつつまらないのもやだし)ので

わりと大仕事になりました。

(やっぱりキャパがせまいのだった)

書きすぎたような
たいしたところには着いてないような

そんな気もしますが
手紙は

あれくらい
ぐにゃぐにゃで親密なほうがいいのではないか。

どうか?

先週木曜日、
ピナ・バウシュの映画を観るために
池袋へ。
すごい混んでいる駅と駅前。
前情報ほとんどなしに観たのだけれど
(監督はヴェンダース)
踊りも映像もすごく良かったなあ

まあ
美しい。
生々しいときもシュールに見えるときも。

ドキュメンタリーでもあるんだけど(しかも3D)
街とか建物とか生活とか空間との合奏のような
(劇場でない)踊りのシーンは
くらくらするほどポエジー。
できるならまた観たいです。

池袋はちょっとやだ。

さて
ええと

そのとき体調で音楽を聴くからなのかわかりませんが

最近
syrup16g というバンドの曲を聴き直していて、
かつてより良く聴こえるというか、ちょっといとおしさがあったりして驚きました。
かつては
無意識的に恐れるような(それで自分ももしかして精神的バランスを崩しそうになるような)感じがこちら側に
なくなったから
そんなかんじなのかしら(今はむしろそれと同居してるのか)。

当時は気づかなかったサイケデリックの要素も心地よいのでしたよ。
(中古でいわゆるコンプリートボックス買っちゃったよ)


はい。

あとは
『パリ、テキサス』のパンフレットや

『ジョゼと虎と魚たち』のムック本みたいなやつや

『ルル・オン・ザ・ブリッジ』のDVDやら

ルー・バーロウ関連の音源やらを

見つけたりしました。

ふむ。

あと
ついに
きのうは
マイ・ブラッディー・ヴァレンタインの
リイシュー/リマスターが
出たんですよ。

嬉しいです。


今は曇り空。

じきに雨も降ります。

珍しく
早く目が覚めて
井の頭公園に来ているですよ。

とても緑。

とくになにをするでもなくここに来るのはじつは久しぶりですなあ。

井の頭公園を
基準にして
今の部屋を
探したわけなんですけど

そのわりには
引っ越してきてから
ゆっくり(何に追われてたのかはわかりませんが)ここに来たのは初めてっすね。

意外と
土日は混みすぎるし
お花見やゴールデンウィークが終わって
ようやくこの
ベンチに座れたわけです。

さあ

なにもしない朝ですよ。


夕方になったら

マーク・マクガイアさんのライブ見に出掛けます。

フラットな気持ちだけ用意したいです。

そういえば

今朝
5時とか?

すこし窓あけて
軒下の小皿を確認(カリカリの補充)しようとしたら

無言で

あの子(名前はつけてません)が

よく来てくれる黒白の猫が

窓から
ちょっと距離を置いて座っていて






むしろこちらが驚いたりして。



ぜんぜん鳴かないのね

たぶん
人間に甘えるっている回路がないんだと思うんだけどねぇ

だからこそ

その猫に
名前もつけられないんだけどねきっと

わたしが上でもないからねぇ

とか思いつつ。

ちくわちぎったやつが
好きみたいですよ。

わたしゃ
猫が食べてるとこを
見ます。

ときどき
こちらを(たぶん警戒)見るので

「うんうん」
とか
「どした?」
とか
声をかけると

また
食事の続きにもどります。

こちとら

すごく好きなので

むしろ
距離を縮めないようにしようと
思いながら

(冬には毛布を用意しようか…)
とか
思ったりしているわけでして。


そんなかんじなんです。









やれやれ。

外が明るくなって

井の頭線も動き始めました。

ゴールデンウィークはおしまい。

わたしゃまだお休み。

世の中のタイム感からすこしだけ外れることで自分を保つ。
温泉は美容にもいいわよとか言って。


はい。

いろいろ
考えてて
気づいたんだけども

新しい部屋に来てからの
負の感情のコントロールできないかんじに困惑しながらの
日々にね

自分で自分を大事にするように
自分に応えるようにやってたことが

(CDいっぱい手に入れたりギターや録音の道具をそろえたり猫の小皿を置いたり)

それって
もう
モロに

この状況で
自分に与えてあげられる
愛(の代わり)
なんじゃないか
って。


あとから
気づいたなあ。

切実すぎて
ちょっとさみしいくらいだぜ。


ふー。

つまり
わたしは
シェルターみたいな部屋に

思い入れがあるもの

必死でかき集めていた
ということなのだろう。


きみは
知ってるかもしれないけど

『思い入れ』ってのは
『愛』に近い、
ほとんど『愛』で出来てると言ってもいい。

(言ってもいいよね?もう朝だよ)


きっとそうだ。


わたし以外

誰もいない部屋で


『それ』

なんとか
醸し出そうと
しているのだと
思った。


きっとそうなのだ。

恥ずかしながら
そうなのだ。



涸れ果てたものが
湧いてくるのを
待っている

恥ずかしながら。



いやいや



ご存知のとおり

わたしは
いろんなことが恥ずかしいのだ。





(どうか許してほしい)




おやすみなさい。



いろいろありがとう。