どうだろうなあ。

うまく書けるかしら。


ある意味では
もう暴かれてしまっています。

べろんと剥けています。

それをちゃんと書けるか、立ち上げられるのかということなんだと思います。


さてよ。

「そこから何が見えるか?」

様々な、
ひとたちの、
その立場から
なにが見えているのかを切れ切れに想像しますわたし。

できるなら想像の足場になる断片も聞きたいです。

(集中力はたいして長続きしないけれどもね)

どんな子ども時代で家庭は学校はどんなぐあいで休日は遊びは好き嫌いはどんなかんじだっただろう?

だれもがおそらく自分の容れ物に閉じ込められている(けれど始めっから入ってるからいちいち意識しない)。
環境、家庭もそう。家で食べるご飯や家のルール。
けっこう様々なんだけれども、始めっからそうだから「そういうもんだろ?」と思っていたり、それを疑う機会があまりないのではないかしら?

それよりもいわゆる時間のエスカレーターだかベルトコンベアーだかのスライドに対応して
学校や勉強や遊びや部活やバイトや恋や自意識やら
いろんなものを
通過したりこじらせたり取り残されたりしていくわけなのでしょうよ。

そのあいだに
ずいぶんしっかりと違いが生じているんだけども

もしかしたら生涯、その自分と似たものグループの掟のなかに留まるひとも居て、
そうすると
自分とずいぶん違う環境のひとを
想像する手がかりがほとんどない(つるつるだかピカピカの)世界で過ごしていたりするのかもしれません。

どうだろう?

ちがうかな?


うむ。


ほら
『わたしが子どもを育てるとしたら』
というのをすこし想像したと書きましたけれども、

そのときにね?

かなりヒヤリとした感触を
瞬間、味わいました。

わたし、いろいろ苦手だったりする学生時代を経て、
実家出たり、なぜか東京に来て、一人暮らしなんかもしているわけですよかれこれ10年以上ね。
なんとかお仕事もしてさ。

これ、システムよ。
規則正しくなくったってそこにはほら(ふたたび)生活様式。
悲しいくらい特別仕様(悲しくない!)ですよ。

そこには(その生活には)
もう、子どもじゃないので、
『苦痛』を避けるような仕組みが
形作られてるとおもうわけです。

おそらく
苦手な場所や、つらい気持ちになりそうな場面、イライラしてしまう状況やなんかに、対面しなくて済むように
ある程度改良なり工夫なりをしてしまっているんではないかなあ?と。

(まあ、つまり、わたしはそうだったんです)

いいの!

いいのいいの!

生き延びるためですものあなた!


(口調が変だ)


はい。

でもさ?

赤ちゃんが登場したら
もろもろスタート地点に戻って
それを共有していくようなところが
あるとおもいます、育っていくことを丸ごと。世界にはい出すこと世間にぶち当たることを丸ごと。
きっと。

それを
想像するスイッチをいれた途端

テトリスで画面上から落ちてくるバーやブロックのように

棚上げ(思考停止)してたモノがたくさん落下してくるかんじがありましたよ。
自分の『お父さん観』(あるいは『お父さん感』)をどうしよう?
と。

ええ。

まずは
考えはじめていますよ。
始めなくては始まらないことはありますですから。
(また口調が変)

まあ

けっこうな荒れ地ですよ。
動揺します。

整理したいよ。
落ち着きたいよ。


…うむ。


車、運転できないなあとか思いますねえ。
自分が暮らすだけなら(電車や自転車で)いいんだけどね。
免許自体がないのに、車?維持費?とかまで想像しかけるともうクラクラがやって来ます。

たとえが悪かっただろうか?

(ちょっと資本主義的過ぎるよ)

そうか


なんだろう。

日曜日に人ごみに出かけたくない、とかでもいいのかな。


こう、『苦手なものが多い子ども』だったわたしは『苦手なものが多いお父さん』になるしかないのか!?
という、
もはや、
衝撃。

まあ、そりゃあ
そもそもイメージしたことがない、できたことがないんだよ、将来が。

(ああ)

おっと!

おもいのほか重い!
まずいぞ

読み物として成立しないのではないか?

いいか。


(それどころじゃないか…)


うん。


だいたい底で

いつものそれ

出くわします。

そうです
『せまさ』
です。


おなじみ
『自分自身のせまさ』
です。

(「そんなの誰だってそうだよ」と言いたい方もおられるかもしれないのだけどもね?)

(…ああ、ここを
わたしはうまく書かなくてはならないのだけども…)


うーん。

わたしなりの考察や観察で浮かび上がってきたのはね?

そうね
今までも繰り返し

『小さい』
『せまい』
 と
言ってきたわけなんだけどもね。

うむ、
最近はなんというか
こう、
「あれ、みんな普通にある程度広いのね?」
という感慨が強まってるのね。

できるだけしずかに暮らしてみてね?
へんな熱をさましてあげて、
ていねいさや落ち着きを(猫山田なりに)暮らしに施してみてね?
おそらく、
いわゆる客観的な視点が、ジャッジが、

『良いとか悪いじゃなく

せまい

ってことかな』

という具合に
やんわりと

しかし
ぐさりと
示してるのを
かんじるわけです。
でまあ

胸をおさえて

「どうってことないよ」
と言っておるわけです、

猫山田はここで。





(つづく)