まあ

思考停止しますよ。

考え過ぎると
キャパシティのオーバーを察して

気分転換や
現実逃避や
睡眠で未来にワープなどの
技で
なんとかやりくりしていますよ。


でも
ちょっと変化してきたなあ。


たぶん

たっぷり
現実逃避ができているのだろう。
たっぷり
睡眠をとれているのだろう。
しっかり
猫がごはんを食べに来てくれているのだろう。


とっ散らかってはいるのだけれど
それでも安息のようなものがあるのだろう。

うむ。

わかってきたのは
「いずれ死ぬなあ」ということだと思う。

言葉を弄んでるわけではないと思う。

36歳だしねぇ。


これは(暮らしているだけで)あっという間に過ぎてしまう。

ほんとうにあっけなく終わる。

そのラインの上にいる、ずっと。


自分の奥の方を掘ったつもりになる、しかし大したものはない。

人間不信の原型らしきもの。そしてなんだ、子供時代からあんまり譲ってないんじゃないの?
なんか歪みを守って来ちゃったのかしら。

容れ物が小さいのはとても不便だ。


現代風のいっぱしのファミリーは醸し出せない可能性が高い。というか散々今までその糸口を遠ざけて来たのだとわかる。わかるせいで愕然とする。

しかし
そんなのを自覚する程度の余裕は今まであったことがないのはよく覚えている。

わたしゃあ
泣き言を言いにきたんじゃないよ。


わたしが気に入っていて
何度も口にする言葉がある
『何かに夢中になるということは世界を手に負えるサイズにまで限定することなんだ』
というやつだ。


まったく。

わたしこそが
長い間
多くのものに事柄に在り様に
無関心でいることをキープして
麻痺させて
それでわたしにとっての現実のキツさを最小化したつもりになって
その上で
なんとか自分の部屋に好きな物を集めてきてそれに夢中になり続けようとした。(もちろん集中力のサイズもそんなに大きくはないのだけれど。)

ほんっとうに
小さいのだ。

ほんっとうに
多くの事に
開かなかった。

心なのかなんなのか
わからなかったけれど
開かなかった。

入らなかった。

歴史とか
数式とか
全然入らなかった。
日本地図も世界地図も
頭に入ってないよ。
(あ、
九九は大丈夫だ。)

まあ

要は
学校が苦手だったのかな。

あとはお父さんが苦手だったな。お父さんがいるところがわたしにとっての居心地の悪い場所だったから、家も苦手だった。
自分の部屋は別だ。お父さんは入れないけども猫は来てくれた。

うむ。

今こうして
書きながら考えれば
わたしには
少なくとも部屋があったわけだし
お父さんだってわたしを虐待したりはしていない。まったく。

いや
暴力はなかったけど家の居心地は最悪だったな。
兄弟いたら違ったかな?
わかんないな。

しかし
今は
当時のお父さんの寂しさやら報われなさについて
わたし気づくときなのかなあ。
(子供のために)お父さんが気づけなかったことに(子供いないですけど)気づくことをしっかりしなくては始まらないだろう、
などなどおもいつつ

(こういう話はいつか会ったときにゆっくりお話ししたいです)


なんというかね

リアルに滅びるってこと。
この代で滅びるってことも十分にあるんだって感じます。

いやむしろ感じるべきだよ

自分に言いますよわたしは。


さて

そんな場所から

せっまい脳みその
ちっさい窓から

原発のことも考えている。

考え方をいろいろ見せてもらいながら
うまくまとまらないまま
揺らし続けながら
そして
途中散々
現実逃避をしまくりながら

また
ちっさい窓を開けて
考えなおす。

路上にも立つ。


大きなデモや
ツイッターでの意見の食い違いやら
言い方やらスジのことやら
なんだかいろいろ
見て

そしたらすごく
もっと知りたいことやら
学びたい身のこなしのようなものが
あるのでしたよ。


なんというか
いろいろ
思ったんだよね。

友達ともいっぱい話をしたし、それはまあ、わたしも友達もちょうどいわゆる傷心というやつだったせいもあるかもしれませんが、そうじゃない友達とも話をしました。そういうのが最近ますます楽しいです。
そしてそういうのを楽しいと思う心境は初めてかも。

ふー。


原発のことを考えると
まるで日本のえげつない面の縮図を見せられるような状況になったりする。そしてあまりにも日本について知らない自分を思い知るし。
えーと
現実をなんとかシンプルにしたいと思う一方で(それはむしろ同じ意味なのかしら?)、いろんなポイントを同時に意識するような状態ってのがあって、それを実演してる人も(おそらく)いて、わたしにはとてもじゃないけどできなくて、
しかしそれはもしかしたら
将棋の駒やチェスの駒の動き方を記憶することくらいの(もちろんわたしは記憶してない)、駒の何手も先まで読んで仕掛けるような(もちろんわたしは読めないし仕掛けない)、法則やらコツを会得すれば洗練させて行ける類の、思考のうえでの技術なのかもしれないけれども。
うー。

わたし法則とかコツ、それ掴んで洗練させるの、できないんだよね。

ちっさい脳みそ
ちっさい窓の
本領発揮です。

ふー。

(「でもいいや、歌の作り方はちょっとはわかるから」とムキになって強がっていたい!)


すこぶる無力。

でもそこに無力のちからってのが
あるって
最近
再発見した。

無力のちから
ってのが
あるよ。


それを丁寧に扱ってみることに決めた。


(これを、スマホでないケータイのまさに小さい窓で延々書いていて、PCとかで見るとどう見えるのかわからないけどね、ええ、気が遠くなる思い)


ひどく
とっ散らかって
書いてきましたけど。

これ

読むの骨(骨が折れるってことね。や、骨折じゃなくて、手間がかかるってのに似たニュアンスの、骨)ですよね。


でも
これぐらいじゃないとハイにならないのではないですか?


手紙でハイ。


(2時間くらい書いてるし、途中消えたし)


うむ。

変なものを書いちゃったかもなあ。


話したいことや
聞いてみたいことはいっぱいありますさ。ありありです。


とはいえいまは
ちょっと脳みそぱんぱんになったから
思考停止しつつ
ありますよ。

停止します。


良かったら
なにか
君の話も聞かせて
ぜひに