やー、

繊細…なのか?

(もっとなにか えぐいものが潜んでるんじゃないのかなあ)

やー

まあ

ここから先は繊細を通り越して
恥ずかしい(つか情けないに近い)話なんだけどもねぇ。

気づきました猫山田。

思い出しました猫山田。


そこには
(猫山田が言うには)
「プレッシャー」があるんです。


(え?今この人、プレッシャーって言った?)


そうですプレッシャーです。


(※プレジャーでもトレジャーでもありません。)


ほら、
当然さ?
「ライブ」でも
「舞台」でもね、
その場限りなわけでね?

『今ここで感じられるか/楽しめるのか!?』
というプレッシャーがそこに
(猫山田にとっては)
あるのであります。


それに加えて、
感じてなお、持ち帰るためにはケアが必要なわけで
(メモリー機能が弱いのかしら俺)
気楽なものじゃないんだと思ってるわけなのです。
(ひとりで行くほうが気が合う誰かと行くよりも気苦労は断然多いです)

ふー。

なんかヤワな感受性ですなあ。
かたじけないったらないですが、
これはまあ
現実なのですな。


その一方で

音源(CD)や
映像(DVD)だと
1度目で感じ損ねても、
そのまま音楽/景色は、そこにあるのであります。
2度目に聴いた/観たときにも、同じ形で(!)、感じるチャンスがそこにあるのであります。
つまり
素晴らしさが、そこに留まってくれているのですよある意味。

わたしにとっては、
それ、
すっごい、
やさしい在りようなんです。

こちらの
コンディションの調整を待ってくれる余地があるわけです。
それをとても「やさしく」感じるのでしたよ猫山田は。


そうね

であるからこそ

音源、映像、本、が
わたしにとって
信頼が置けたり
親密な気持ちを抱くものなのだなぁと改めて思いましたですよ。

まるで手紙みたいに感じるのですな。

いつか伝わるときまで必要とされるときまで無意味のふりしてでも それらは 待ってくれているように
猫山田は
感じるんですね。


ふー。


ある意味じゃあ
『たまにしかひらかない扉』なのでありますわたしの心なんてのは!

や、

ひらきたいですけどね。

ひらき方よくわからないんですから。

集中力が小さいんでしょうかねぇ?

(それはあるとおもう!)

や、

これは、
こういうのは

悪化したとかではなくて

淡々と15年くらい普通にそうしているのです。

普通にめんどくささと共にあるのであります。

猫山田です。