たしか数年前に
好きな人に
言われたことがある。
「あなたは
ひとに
プレゼントだったり
なにかを『与える』ことはなかなか上手にできるのに
『もらう』のが下手なんだとおもう。
あなたがもっと
与えられた時に喜びや嬉しさを表現できたら、
あげた方も嬉しくなって、きっと相乗効果が生まれたり、広がっていくんだとおもう」
それは
そのとおりなんだとおもう。
だからこそ
まあ
ひやりとして
今もまるで傷のように
印象に残っている。
感情を
おもてに出すのが
基本的には
好きじゃないのね。
気持ちを読まれたくない
という前提が
子供のときから
あるのね。
人に相談したりってのが
(最近はします)
ずっとしたことがなかったりしましたね。
10代のおわりごろから
文通とか(!)で
手紙に自分のことを
書くうちに
(それを書きながら読み直すうちに)
自分を客観的に見るやり方を
覚えたりしました。
そのせいでしょうか。
わたしは
手紙や文字の上でいちばんフレンドリーだったり開放的だったりする気もします。
(そうですね、『手紙』という入れ物が好きです。あるいは信頼していると言えるほどに)
悩み事、考え事は
自分のなかで
なんとかやりくりする以外の選択肢が
なかったですね(だれでもそんなものかな)。
たとえば
いわゆる高校進学やら受験のころにも
その
『進学』やら『受験』も
それどころじゃない
という感覚が
あったと思います。
よくある話なのでしょうけども
実家も学校も
安心できる場所ではまあ
ちっともなくて
まあ
『高校生になったら』とか
そういうので解決しない
『やだなー』
って感覚にじわじわと
普通に
よくあるように
つぶされそうに
なりながら
ラジオとか
音楽とか
女の子への幻想とか
で
日々をやりくりしてたわけですね
つぶれないように。
(いったい何を書いてるんだろうか…)
さて。
なにかを
人から
『もらう』ことや
『与えられる』ことが
下手だ。
そして
その一方で
音楽のね
いわゆるCDのアルバムとかね
本やビデオ(DVD)の物語や言葉や表情からは
ものすごーく
与えられることを
受け取ることを
素直に
できるんだよね。
(寂しいことなのかもしれないけどね…)
すごくそういう受け取り方に
親密さを
感じているわけだ。
やれやれ。
恥ずかしがり屋とか
照れ屋とか
そういうことより
もっと厄介な
ゆがみな気がしておりますけどもね。
なんとかなると思って
キラキラのほうを
見るようにして
ふらりふらり進んできたけどもね
わたしにとっては
どうやら
そのやりかたは
行き止まり。
後悔してることはない。
正しくあれた気がしない。
(これは傲慢なのかもな)
まあ
ぼろぼろだけど
今は
やっと見回すことはできるみたい。
この10年とすこし
をざっくり振り返ってみようとしてみてるけど
いろいろひどいね
いろいろ至らないね(いろいろ恥ずかしい)
そんで
それは繰り返してる。
次は?
次なんてあるの?
次なんて言ってていいの?
(わかんないねーまったく)
でもね
認識した。
(いよいようんざりしてる)
でもそれをすぐ忘れそうになる。
すぐに。
そのうえ
『どーでもいいな』
と
よく声に出さずにつぶやく。
(それでいて日々に楽しみを用意してる)
つぶれないために?
(そうだね)
ふさわしく
沈んでいるところ。
(イエイ)
イエイイエイ。