デビューは唐突。
3年前の7月。
わたしは
なんの下積みもなく
車椅子を押して、
世田谷の路上にいた。
(その3年前の7月、
わたくしどもの
バンド、
ムサシノ(仮名)
は
初めての下北沢シェルターでのライブをやり、その日を最後にバンドは実質的には解散したりしたのでした)
車椅子を押しているとき、
わたしはたいてい、
黒子である。
車椅子に座っているのは障害をもつ、(たいてい)ひとりぐらしをしているおっさんだ。
基本的に
わたしは
出された指示に
『手足の代わりに』
従うのが
仕事だ。
夕方、
おっさんは
近所に
散歩に出る。
用はあんまりなくても
外に出たりする。
(君だって
猫だって
そうだろう?)
世田谷の住宅街かなんかの道を
言われるがままに
左右に折れたりしながら
歩く。
そもそもわたしは
世田谷近辺自体を
その仕事をしながら
初めての道ばかり歩いたのだった。
そんなにいそいでないのである。
お金はまあなくはないにしても
ほしいものなんて
(そんなに)
(たぶん)
ないのである。
(『ほしいもの』と『てにはいらないもの』、それは
似てるようで、また別の話であるのだろう)
仕事中。
おっさんのリズムに合わせて
町をすすむ。
楽器が演奏する音楽は聴こえていない。
あんまり用もなく
ゆっくりすすむ。
わたしが
まずはじめに
おぼえなくてはならなかったことの
ひとつは
なんてことない景色のなかに
とくに面白いわけでも
変わり映えするわけでもない景色のなかに
とにかく
顔を向けて、
眼球にそれを映して、
退屈を
『退屈』という言葉に閉じ込めないこと
だった。
当たり前だけど
景色に
効率も
合理的も
意味も
いらないのである。
(たいていはそうではあるまいか?)
なんだか知らないが
わたしは
そうするうちに
今まで
見てるようで
見る気もしなくて
つまりは見ていなかった
景色たちを
(まずは)
見ることができるようになった
(気がする)。
だからといって
なにが
あるわけでもない。
(気にしなくていいよ)
ただ
わたしは
見たくなったのだと思う。