(桃一はつづけた)

印象に残っているのは
雨の日だ。
しかも夜。


僕が実家の自分の部屋で眠っている。
僕の部屋は二階にある。
僕は猫のために
部屋のガラス戸の鍵をわざとしめないでおく。
クロは家の脇に植えられた木を伝って
二階のベランダまで駆け上がる。
そして
前足の爪と肉球を上手に使って
ガラス戸をあけて
入ってくる。
たぶん
かるく「にゃお」
とか言うだろう。


雨の日の猫なのだ。
想像してもらうとわかると思うけど、
猫は背中の毛をしっとりと濡らしている。

そんなことはお構いなく
クロはベッドに飛び乗り
僕の布団に
僕のどちらかの肩とか腕のあたりに適当な隙間をみつけて
布団に入り込んでくる。

実は
雨の日の猫は毛を濡らしているだけではない。
たいていの場合、
クロの両手両足の肉球や爪のまわりには濡れた土がついている。

で、

僕はそのことを
考えないようにしてクロを布団に迎えいれる。

うん。

だいたい
朝になっちまえば
猫はふわふわになってるし、
土だって乾いてパラパラしているのだから。

そんなわけで
クロは何度となく
雨の日雪の日
濡れた体で布団に
潜り込んだ眠った。
桃一は
やっぱりいつも
すこし嬉しいのだった。




なんというか
そういう気持ちは
桃一にとってみれば
母性本能
ってやつが

自分のなかにもあるのかもしれない と
気付かせるものでしたよ。




うむ。




さてさて




そういえば、


クロが来てから

たぶん五年以上経って
ある程度猫として
大人になってきたある日




こんな事件もありました。


行方不明です。


今度はほんとうの
行方不明でした。


クロは
ひとばんふたばん
帰ってきませんでした。

(心配だ)

という気持ちと

(どこか遠くに
  遊びに行ってる  のかしら?)

という気持ちの両方を抱えて
待っているうちに
一週間が過ぎたのでした。

さすがに
一週間というのは長い。

ごはんを食べずに過ごしているのだとしたら
生死にかかわるポイントにさしかかってるはずだもの。


お腹は減ってるはずなのに
帰ってこないということは
『何かが起きた』
ということなんじゃない?

だってそうでしょ?
僕はこわかった。

急に、
おわりだなんて。


そんとき
僕は
ちょっと無理やり

こんなふうに
なんてことないフリをして
あんなに
大事な猫が
突然行方不明に
なってしまうことを
やり過ごすことが

「この苦いかんじ」を忘れるくらいゆっくり飲み込むことが
『大人になる』
とか
『強くなる』
とか
そういうことなのだとしたら
うんざりだと

思った。




そう


そして


また、

変な声。


(う゛ぁ~ご)


(んう゛ぁ~ご)


(ぉう゛ぁ~ご)



クロが行方不明になってから10日を過ぎようとしていたある日
その声は聞こえた。
壊れたラッパ。

下手クソなラッパ。

(う゛ぁ~ご)


(う゛ぁ~ご)


ひょろひょろの
ほんとうにフラフラの足取りで

あらわれたのは
クロとそっくりな模様の生き物だった。

いいや、
クロだ。
クロに決まってる。

クロは傷だらけだった。
口の端が裂けていた血がにじんでいた。
目も片方しか開かないようだし、
片方の耳の付け根がやはり噛まれた様子で生々しい傷がある。

おそらく口の端が裂けてるだけではなく 喉か舌にも傷があるのだろう。
クロの鳴き声は
濁って歪んで、苦しそうだった。


その姿を見て
僕らは理解した。

クロは
この10日あまり
どこか遠くない草むらとか、身を隠せるところで
深い傷を自分の力で癒やしながら、
動ける体力が戻るまでじっとしていたのだ。


僕は
その傷だらけの姿を見て
もしかしたら僕の猫は
死んでしまうのかもしれないと思ったけどもね。

うん。


大丈夫だった。


クロは
家に戻ってきて
落ち着く場所を決めてそこに布団を置いてもらって
何日も体の傷を舐めることと 寝ることに専念してた。

あのねぇ。


そこからは

ゆっくりと
確実に
傷を治していった。


それで

クロは
ほとんど昔と変わらない姿に戻った。


うむ。

でも
全然
変わってしまった。

なにしろ
その猫は

10日間も
深い傷を負って
非常事態のまま
敵の襲撃に怯えながら
ひとりきりで
過ごしたのだ。


それでクロは
変わってしまった。



あのねぇ、




(猫なのに!)
人懐っこくなったんだよね!


一応ね、
クロはほら
血統証付き母猫の
娘でしたので

やっぱりね、
気高くて
クールなかんじが
常にあったんです。
外人っぽいかんじが
ありましたですよ。

でも
行方不明から帰還して以来は
なんかねぇ
吹っ切れたように
甘えん坊に
(見事に!)
なったんですよ。

なんかクールのかけらもなく
ほんと
寂しいときの子供のように甘えるようになったんだよね。


それで
僕は僕の猫を
もっと大好きになったんだ。

















(第24話おわり)