世田谷、昼下がり、
豪徳寺あたりの商店街。
商店街のスピーカーからは あたりさわりのないBGM。
ピアノのフレーズが聴こえてくる。
僕はちょっとした空き時間、とくにどこへも急いでいない。
とくに気にしたこともないアパートだかマンションだかの入り口付近に とくに気にする必要もなくありふれた自転車が停めてある。
僕のすこし前を歩いていた女の人が 歩く向きを変えて、
どうやら アパートだか(マンションだか)の入り口を目指す気配。
僕はとくに見るつもりもなく
その女の人が
自転車の脇をすり抜けざまに
サドルの上に
片手の指をまるでカニが波打ち際を急ぐときのように
サワサワサワと
横切らせるのを見かけた。
次の瞬間、
起きたことを理解する。
素晴らしいじゃないか
と
僕は思う。
(言わなかったけど)
彼女、
あれは完全に
ピアノひいてたな。
もちろん
サドルの上で、だ。
ほんの2秒ほど。
で、
その女の人は
ピアノを鳴らした直後、
後ろを歩いていた僕に気づいたらしく
『はっっ!
見られたかっっ!?』
と
くのいちみたいに用心深いサーチをこちらに向けてきたので
僕はもちろん
『ぽわーん
なににも興味なんてありまへんねん、わしかていそがしいねん』
みたいな雰囲気を醸し出しながら ススス と通り過ぎて、
彼女の無実を証明して その場を立ち去りました。
でもね
なんか
うまく言えないけど
その気持ち
ピアノの気持ち、
忘れないでほしい。
(や、からかっているようでも、わりとほんとにそうおもうかも)
やめないでほしい。
(おもしろかったし)
(そんで、見られてないか たしかめるかんじが いいね、
猫みたいで、
いいとおもう)