一番はじめに流産だと言われたとき、涙は出なかった。

その10分後に、別室で、看護師の方から流産処置のための準備などの説明を受けているときも、涙は出なかった。
その日の夜も、手術予定日前日も涙は出なかった。
手術予定日当日、絶飲食のためフラフラになりながらも電話した医師に、吸引法では手術しないと言われたときも涙は出なかった。

ただ、吸引法での手術を行っている病院に、手術依頼の電話をしたとき、途切れ途切れに話す私を、受付の方は急かすこともなく、ただひたすら待って、相槌を打ってくださっていた。そのとき、初めて爆発するように涙が出てきた。

流産をしてしまったことが、自分にとってどういうことなのか、お腹の中で子どもが死ぬというのは、どういうことなのか、全く感情が追い付いていなかった。今でもそうだと思う。
金属で子宮をえぐられるのも怖かった。麻酔をすると言っても、麻酔が切れたら、ひどく痛むんだろうなとも思った。38歳で、そんな手術で子宮が傷つけられて、また妊娠できるんだろうかとも思った。一人目の子供が1歳を過ぎて、夜も寝てくれるようになって、二人目が欲しいと強く思うようになっていた。
絶飲食の中で、珍しく泣いて寝ない息子を、夫があやしている隣で、ひたすら、吸引法を行っている病院を検索していたとき、孤独だった。夫は、気がつくと、息子と眠りについていた。真っ暗な部屋で、喉が渇いていて、心臓がドキドキしていた。下腹痛が断続的にあり、お腹の子どもはもう死んでいるはずなのに、それが胎動のように感じたり、身体が、この子を押し出そうとしているのだなと思って、やはり、この子は死んだのだと納得したりを繰り返していた。

次に続きます