諸磯式土器;

 

  • 標式遺跡;神奈川県三浦市三崎町諸磯遺跡。縄文前期中葉から後葉にかけて西関東に広く分布。

  • 諸磯遺跡出土土器は明治時代から、厚手式や薄手式と異なるものとして認識されていたが、榊原政職により「諸磯式」(1921年)として扱われるようになった。一時は現在の黒浜式も含んでいたが、山内清男が黒浜式と区別した上でa・bの2類を指摘し、後にc式を加えた3つの細別型式とした。
  • 縄文を除いた文様の大部分が竹管文によって占められている(竹管文土器群)。
  • この土器群の時期には深鉢形土器の器形文化のほかに、浅鉢形、まれに壺形や皿形などの新しい器形があらわれる。これは、それぞれの用途に応じて、生活の道具としての土器が分化したためであり、結果的にみれば、生活の安定ないしは向上を反映したものと読み取れることが出来よう。
  • 諸磯式土器の分布をみると、関東地方のうちでは、神奈川・東京・埼玉・群馬・栃木の一部にみとめられ、さらに中部地方の大半にまで及んでいる。そして、西方の北白川下層式土器の分布圏に接する。岐阜県村山遺跡では、北白川下層式と諸磯式土器の割合は8対2であった。北白川式土器は、さらに遠く南関東にまで達しており、その交流の深さを物語っている。

  • 一方、茨城・千葉など東関東地方においては、浮島式土器が主体的に分布し、諸磯式と対立した様相を見せている。
 
 
 
1.諸磯 a式土器;
  • 胎土に砂粒が多く、繊維を含まないものが多数だが、含むものもある(古い段階、および東関東に目立つ)。内面は磨く。厚さは7㎜前後が多い。
  • 深鉢を主とし、有文4単位波状口縁のもの、無文で甕状のもの、単純なバケツ形のものを代表とする。
  • 波状口縁のものは時期が下るほど湾曲が弱くなる。口縁に幅狭の内屈部を持つものも多い。
  • 鉢や浅鉢等も定型化して存在する。有文深鉢の形態を基本として下半部に相当するもの、上半部に相当するもの、全体を寸詰まりにしたものが有る。まれに小形深鉢の胴部を膨らませ口縁部が直立した形態の広口壺もある。
  • 底部は平底。
  • 装飾;地紋に縄紋を持つものが普通だが、横位竹管条線を施すものや撚糸文のもの、貝殻腹縁文を施すものも有る。後2者は東関東に多く、浮島式の成立につながる。
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諸磯 a式(飯山満東遺跡 船橋市)

 

 

1-1. 諸磯 a式古段階: 

  • 諸磯式の前型式である黒浜式に見られた爪形文で描く米字文が消失し、沈線による米字文や、木葉助骨文を特徴とする。

 

諸磯 a式古(市川市中台貝塚)平底からゆるやかに胴部がふくらみ、軽く括れた後、やや内彎しながら外反し口縁を開く器形。2列の押引文で縁取られる4単位の波状口縁をもつ。器全体に沈線による木葉助骨文が施される。

 

 

諸磯 a式古段階(中台貝塚@市川) 緩やかな4単位の波状口縁。 沈線および円形刺突による木葉助骨文が斜縄文の地文の上に施されている。

 

 

 

1-2. 諸磯 a式新段階:

  • 木葉文の出現をもって諸磯a式新段階とする。

 

213 諸磯 a式新段階(岐阜村山遺跡)高39.0cm. 2対の山形波状口縁が直線的に頸部ですぼまり、底部に向けてゆるやかに膨らむ安定感ある器形。口唇部および頸部に刻み目のついた2条の紐線が貼り付けられ、その間を刻み目のついた紐線による垂下文が付けられている。口縁文様帯から頸部にかけて沈線による木葉文が施される。

 

 

諸磯 a式新段階(掛貝塚遺跡@岩槻区). 甕状に緩やかに膨らみ頸部で括れ、2対の山形状口縁に向かって直線的に開く器形。口唇部および頸部に刻み目のついた2条の紐線が貼り付けられ、その間を刻み目のついた紐線による垂下文が付けられている。口縁文様帯から頸部にかけて竹管による連続押引による木葉文が施される。諸磯b式の特徴である紐線と、竹管での連続押引による弧線文が口縁部に見られるが上述の理由で諸磯a式とした。

 

 

 

214 諸磯 a式新段階(岐阜村山遺跡)高さ32.2cm. やや内彎気味に外に張る口縁部が頸部でしまり、以下、ふくらみながら底部にいたる器形は、この時期に一般的なものであるが、底部を欠く。口縁両突起の中間に逆U字形の粘土紐の加飾がある。内面から爪形にえぐられた孔が、上隅に小さく空いている。文様は、口縁部と頸部にめぐらした2条つづく爪形文帯間に同一手法で木葉文を施している。

 

 

 

諸磯 a式新段階(文六第1遺跡 @千葉市)木葉文

 

 

諸磯 a式新段階(七社神社前遺跡 @千葉市) 木葉文

 

 

215 諸磯 a式新段階(長野県阿久遺跡)高30.8cm. わずかに外反する口縁部に、円筒形に近いやや長めの胴部がつく平縁の深鉢。沈線による木葉文の口縁部文様帯がくびれる頸部まででなく胴上半部にまで及び、以下、斜縄文となる。平行沈線文による幾何学的な磨消縄文手法を主とする。地文となる斜縄文があまり繊細でなく、爪形文帯によらない区画文、やや厚手気味の作り方など、諸磯a式の後半と言える。

 

 

 

諸磯 a式新段階(柏崎貝塚第1地点@岩槻区). わずかに外反する口縁部に、円筒形に近いやや長めの胴部がつく平縁の深鉢。沈線による木葉文の口縁部文様帯がくびれる頸部まででなく胴上半部にまで及び、以下、斜縄文となる。平行沈線文による幾何学的な磨消縄文手法を主とする。

 

 

 

 

2.諸磯 b式土器;

  • 胎土は砂粒に富む。
  • 器形 : 深鉢を主とする。有文のものは、古段階では括れが弱く上半部が緩く外反するものが主体となり、2単位の鞍状口縁が特徴的であるが、4単位の波状口縁も有る。中頃からキャリパー状の深鉢が主体となる。キャリパー状の深鉢は時期を追って口縁部の湾曲や波状が極度に強くなるとともに内曲部や波状部を省略した形態も現れる。無文の深鉢の多数は肩の張る甕状。鉢や浅鉢等も存在する。特にキャリパー形深鉢の圧縮した形から独自に発達した、UFO形と称される胴部が大きく開き口縁が強く内湾する浅鉢が特徴的である。底部は平底。
  • 装飾 : 地文に縄文を持つものが普通だが、横位竹管条線を施すものも有る。縄紋は単節RLによる整わない斜縄文がほとんどで、まれに羽状縄紋が有る。縄文のみのものは古段階では半ば近いが、時期が下るにつれ減少し、簡易な文様をもつものが増加する。有文のものは大きく3段階に分かれる。古段階では3列以上の幅広線内充填爪形文を描線として蕨手文等を描く中川類型が主となり、中頃からは浮線を文様描線に用い渦文を描く四枚畑類型が主体になる。さらに時期が下ると渦文も低平な浮線による多重渦となる。これらには、同様の文様やa式の各類型の退化したものを半割管による対線で描いたものも多く伴い、特に新段階では縦位の対弧文が多用されるなど、文様描線の主体となる。半割管は、古段階では幅7㎜前後の広いものが主となり、新段階では幅狭のものを密集して用い条線に近づく。
  • 口縁部にイノシシ等の獣面把手がつく器形が盛んに制作された。
  • 細別名 2分案に始まり7段階区分まであり、変化の過程が滑らかに捉えられるようになったが、一般に用いられるのは鈴木敏昭による3分案である。幅広爪形文が主体のb古段階浮線文が主体のb中段階密集沈線文が主体のb新段階
 
 

2-1. 諸磯 b式古段階:

  • 幅広爪形文平行沈線で蕨手文や弧線文をえがくのが特徴。

 

諸磯 b式古段階(上台貝塚@旧東練兵場遺跡 市川市)

 

 

 

諸磯 b式 古段階 深鉢(掛貝塚@岩槻区 さいたま市立博物館) (※ 2023/12/10 追加) 大波長の2単位波状口縁。口縁の波長に平行に半裁竹管内面による連続爪形文を3条施文。口縁中位に同様の連続爪形文3条線を口縁部条線と180度波長をずらして施文、口縁最下部に再び波状口縁と同調した連続爪形文条線3条を施文。頸部に4条の横位連続爪形文条線を巡らせる。胴部地文は縄文。

 

 

 

諸磯b式古段階(愛宕山遺跡 前橋)

 

 

諸磯 b式古段階(多摩ニュータウン No753遺跡) 大型爪形文と沈線による三角文と弧線文。口唇に刻目文。

 

 

143 諸磯 b式古段階(神奈川折本貝塚)高29.4cm. 文様帯の区画に、刻みのある隆起線を使用した例。本例の特徴は、口唇部に細い粘土紐を貼付けて加飾する小波状の口縁部。

 

 

諸磯 b式古段階(七社神社前遺跡@東京北区 千葉市立博物館特別展)沈線による木葉文。

 

 

諸磯 b式 浅鉢(七社神社前遺跡@東京北区 千葉市立博物館特別展) 

 

 

 

2-2. 諸磯 b式中段階:

  • 浮線文(細い粘土紐を貼り付けて文様を描く)の出現が大きな特徴。渦巻文蕨手文などの文様が見られる。

 

 

  • 爪形文が見られなくなり、浮線文や平行沈線で文様が描かれる。多重の渦巻文が特徴的。

 
 

諸磯 b式中段階(豆作台遺跡@袖ヶ浦市 千葉市立博物館特別展)刻目が入った細い粘土紐を貼り付けて施文(浮線文)。

 

 

諸磯b式(中段階)(箱田遺跡群上原遺跡J-12号住居跡@渋川市 渋川市北橘歴史資料館) 

 

 

諸磯 b式中段階(七社神社前遺跡@東京北区 千葉市立博物館特別展)押引爪形文によるπ字状蕨手文。無文の口唇部隆線の下に押引爪形文をめぐらす。

 

 

224 諸磯b式中段階(山梨花鳥山遺跡)11.4cm. 口縁がゆるく朝顔形に開く小鉢。頸部と胴部と底部直上に斜行する刻み目を付けた浮線文をめぐり、地文は斜縄文らしいが、不鮮明に一部しか残っていない。低く押しつぶされたような刻み目ある浮線文は、伴出する北白川下層3式的。

225 諸磯b式中段階(山梨花鳥山遺跡)11.2cm. 口縁部と底部があまり差がない鍋型の浅鉢。ゆるやかに波打つ口縁直下に刻み目のある浮線文が、やや間隔を置いて2条めぐり、その間に小孔が各対になって4個あけられているのみ。内・外面はていねいな整形が施されており、現在は剥落したが朱塗りの痕跡がある。胎土はあまり良好とは言えず、やや中厚手であるが、器形や浮線文は、むしろ同時期の北白川下層3式に類似しており、諸磯b式との接触で誕生した土着の土器といえる。本遺跡の諸磯b式には、このような独特な土器が多く、関東地方の該期型式内容と多少ニュアンスの異なる傾向が認められ、中部山岳地帯全般の諸磯式土器の再検討が必要であろう。

 

 

 

諸磯 b式中段階(四葉地区遺跡群 東京板橋 千葉市立博物館特別展) 爪形文が見られなくなり、浮線文や平行沈線で文様が描かれる。多重の渦巻文が特徴的。

 

 

201 諸磯 b式新段階(長野細久保遺跡)高29.7cm. 4個の低い山形突起をもつ口縁部は、極端に湾曲しながらひろがり、スリムな胴部へつづき、底部の張り出し底が、全体に安定感を与えている。器表全面に浮線文による直・曲線文が横帯に描かれている。本例は、この時期特有な器形であり、浮線文以外では平行沈線か無文が多く、底部の張り出しは、次期になるとさらに発展する。口縁部の突起に、目・鼻・口を小孔などで描出した獣面が付くのも、この時期の特徴。

 

 

諸磯 b式中段階(群馬新里村城遺跡) 口縁にイノシシの獣面把手が付く。口縁文様帯に浮線文、渦巻文が施される。

 

 

 

2-3. 諸磯 b式新段階:

  • 浮線文がなくなり平行沈線や集合沈線文に限定される。集合沈線文による風車状渦巻文が最大の特徴。
 
諸磯 b式新段階(和良比遺跡 四街道市)
 
 
142 諸磯 b式新段階(神奈川折本貝塚)高34.9cm. 大きく内彎する波状口縁4山をもつ深鉢。口縁部および胴中央部に3組の幅広い平行沈線を配して文様帯を区画し、同じ平行沈線で三角形・菱形・渦巻文などを組合わせた文様で構成している。この文様帯の下部は、胴下半部に見られる縄文の地文を残し、逆に上部は磨消しすることによって、さらに文様効果を高めている。
 
 
221 諸磯 b式新段階(山梨花鳥山遺跡)高29.3cm. 諸磯b式の特徴の一つである平行沈線土器。4か所の山形の変形突起をもつ口縁から、直線的に底部にすぼまる器形。口縁部直下と胴部に2~3条の平行沈線を3段横走させ、その間を同種施文具で連続山形に区画するのみで、地文は粗い斜縄文。選考の諸磯a式の繊細な文様構成にくらべると、文様のみでなく、胎土や器厚、作り方も粗雑になる傾向。
 
 
222 諸磯 b式新段階(山梨花鳥山遺跡)高28.5cm. キャリパー状の口縁をもち、この時期にもっとも多い器形。この種の土器には、口縁部の小突起に獣面把手がつく場合がある。粗い斜縄文を地文とし、内彎して張り出す口縁には直・曲線で文様を集中し、以下数段にに文様を区切る浮専門と平行沈線文が併用されているが、粘土紐による浮線ではなく、やや手を抜いた平行沈線文と刻み目のよるエセ浮線文で、これらはb式の後半期に多くなる。
 
 
諸磯b式(大師遺跡 南相木村)
 
 
 
 
 
3.諸磯 c式土器;
  • 胎土は砂粒に富む。金雲母を含むものも目立つ。
  • 器形: 深鉢を主とする。古い段階では平縁が主体であり、波状口縁がわずかに残る。胴部下位の膨らみが内屈部となり、その上が緩く外反するが、下胴部を省略し、底部から直接緩く外反するものが増えていく。口縁は内屈部を持つものと持たないものがあるとともに、口縁と胴部の境界も内屈させるものが現れる。新段階では口縁内屈部を持つものや、底部直上の屈曲を持つものが乏しくなる。代わって、単純に外反する深鉢の口縁部と胴部の境界が括れ部となり、下半部が緩く湾曲するものもあらわれる。波状口縁も多用されるようになる。UFO形の浅鉢は有孔無紋のものが主体となる。
  • 装飾: この時期から中期初頭にかけては装飾過剰のために文様が地紋に転落するということが繰り返されるため、地紋と文様を明瞭に区別しにくい。縄紋を持つものはまれである。成立直後はb式から続く単節斜縄紋がほとんどで、それ以後にまれに見られるものは羽状縄紋が多い。有文のものは大きく2段階に分かれる。古段階では、胴部に縦長の対弧文やX字文、口縁と胴部の境界に横線帯、口縁部に横位羽状沈線と貼付文という組み合わせが基本になる。描線は細い割管による多列平行対線による。口縁部の貼付文は棒状のものが出現し、その一部が貝殻状に発達する他、胴部も含めた文様の要所にボタン状の貼付が付される。新段階は平行線が次第に地紋化し、代わって棒状の貼付から変化した竹管刻み浮線を描線として、はじめは口縁部に数列垂下し、後に双渦文が現れる。

 

  • 従位の区画文が最大の特徴。貼付文を施すものが多い。

 

諸磯 c式(興津貝塚@茨城美浦村)

 

諸磯 c式(和良比遺跡@四街道市)

 
 
諸磯 c式(花前I遺跡 @柏市)
 
 
202 諸磯 c式(長野丸山遺跡)高21.8cm. 口唇部の大柄な貝殻状突起、頸部から胴部への小さなボタン状貼付、その間の短い中型の突起が、地文の集合沈線とよくマッチし、短い筒形の胴部もやや張出気味の底部によって、大きい口辺に調和し、全体に安定感がある。器上半部の横、下半部の縦を主としたモティーフや、頸部隆帯のあり方も心にくい構成といえよう。
 
 
226 諸磯 c式(長野下島遺跡)高34.5cm. ↑202の同形土器で、底部が多少変化している。長野県における諸磯c式比定の下島式の標識的な資料。 
 
 
諸磯c式(北杜市・天神遺跡)
 
 
 
諸磯c式(上百駄山遺跡 群馬富士見村)
 
 
227 諸磯 c式(山梨花鳥山遺跡)高さ21.6cm. やや内彎する短い口縁部から、外反気味にすぼまりながら、田周防張り出した底部にいたる、この時期に多い器形。口縁部は地文の羽状沈線の上に3本一組の刺突ある細長い突起が6箇所に配され、口縁直下に1列、頸部に2列の刺突文のあるボタン状貼付けが横に施文されている。
228 諸磯 c式併行(岐阜峰一合遺跡)高さ26.0cm. わずかに外反して開く口縁部が、胴下半で多少膨らみ底部へすぼまるやや例の少ない器形。口縁直下のボタン状貼付けと器全体の平行沈線文は、この時期の特徴をよくそなえている。上下の横帯文、その間の胴中心部に描かれた従位の連弧文は諸磯c式のもう一群である結節状浮線文土器の地文としても使われている。
 
 
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諸磯式土器の地域的広がり(縄文前期中葉~後葉)
  • 今から約6000年前の縄文時代前期後葉は、現在よりも気温が2℃ほど高く、海水面が上昇し、貝塚が増加した時期にあたる。
  • それまでとは集落のあり方は変わり、集落の中央に墓域を設け、その周囲に環状に住居を巡らせる集落も出現した。
  • このような時期に東関東地方には、浮島・興津式土器が、南関東地方には諸磯式土器が相対峙するよう分布していた。

 

  • 2つの土器型式は当初よく似ていたが、時代に違いが大きくなっていき、やがて明瞭に分布圏が分かれるようになった。
 
 

 

 

 

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元ネタは『令和4年度特別展「遺物から見える地域文化の発達 縄文時代前期後葉~末葉」@千葉市立郷土博物館』

 

2022/11/28、加曽利貝塚(南貝塚)発掘説明会に参加。頂いた資料の中にこの特別展の案内が入っていた。でも、会場の千葉市立郷土資料館の場所を知らないこと、この後千葉県立博物館に寄る計画であることなどで「また今度」と思っていた。がっかりだった県立博物館見学の後、徒歩でJR千葉駅へ向かっているとお城の前を通りかかった。で、バス停に「市立郷土博物館前」。「あ、ここだ。ラッキー♪!」 こういう幸運もあるな。幸せは足で稼げだニコニコ 

非常に丁寧な展示内容に大いに勉強になった。千葉市埋蔵文化財センターに感謝。 

 

16.6km、歩いた甲斐があった(^-^)v