筑波大学先史学・考古学研究第 28号 1-20 2017 , 霞ヶ浦沿岸における堀之内 2式土器の器種組成とその変遷 亀井翼

 

はじめに

  • 東日本の縄文時代後晩期の「停滞」について,見直しが進んでいる)。
  • 東日本の縄文時代後晩期には 工芸的な遺物の発達や祭紀的な遺構,遺物の増加など,質的な面では発展が続くのに対して 遺跡数の減少 規模の縮小が広範に認められる(今村 2002)。これらのことから,環境の悪化などによって文化的停滞が起こった時期と考えられてきた(同本・戸沢 1965など)。
  • しかし,加曽利 B1式以降の竪穴住居の減少は,同一地点を長期間利用した結果である可能性が指摘され(菅谷 1995),近年検出が増加している,環状盛土遺構が当該期における長期継続型の集落であることが明らかとなっている(阿部 1996)。 また,後期前葉~中葉以降には 本州、東半部で泥炭層が発達し,低地林の拡大とともに安定した湿地環境が広がるようになり 「水場遺構」が増加することも指摘されている(佐々木 2008)。 具体的な遺跡出土資料の検討によれば 少なくとも動植物資源が壊滅的な被害を受けた操子はみられない
  • 震ヶ浦沿岸では,環状盛土遺構は検出されていない一方 同遺構との類似性(江原 2001)が指摘されている環状貝塚は多数存在する。
  • 貝塚は後期中葉をピークとして後葉以降は減少していくのに対して,竪穴住居跡数は後期前葉をピークとし,後期中葉には激減したのち,後期後葉に再び増加する。
  • 遺跡立地に注目すると「水場遺構」こそ検出されていないものの,後期中葉に低地の利用が本格化する(亀井 2011)。
  • 住居跡数,貝塚形成 遺跡立地のいずれも,堀之内式,加曽利 B式間を画期とすることから,霞ヶ浦沿岸においても,この時期に居住・生業形態の再編が起こったと考えられる ⇒ 特に,① 竪穴住居跡数がピークを迎えるのは堀之内 1式期であること,② 当地域で唯一の低湿地遺跡である茨城県美浦村陣屋敷低湿地遺跡(美浦村教育委員会編 2011)において,堀之内 2式~加曽利 B1式の「土器集積址」が検出されていること、を考え合わせると 堀之内 2式期にこうした変化が起こった可能性が高い
  • よって,堀之内 2式の細別を進め,時間的分解能を高めることは,霞ヶ浦沿岸における居住・生業活動の再編を考える上で重要
  • 堀之内 2式細別型式の具体的内容を提示することを目的として,地域を限定した型式の変遷と,各細別における器種組成を明らかにする。
 

堀之内2式の土器編年(阿部 1998)

  • 住居跡一括出土事例により,堀之内 2式古段階の器種組成を明らかにした。
  • くびれをもつ深鉢の卓越する甲信地方(阿部 1997)や,地文縄文が施される土器の卓越する東関東では,磨消縄文の文様変遷だけでは編年的位量付けを明らかにできない土器群すなわち 地文縄文の土器が卓越する様相の編年を試みた。
  • 下総台地周辺において,磨消縄文精製深鉢の型式学的特徴と一括出土事例に注目し,堀之内 2式の3細分を行った(阿部 1998)。このなかで 紐線文系粗製土器は古段踏には存在せず,紐線文系粗製土器の系譜を,朝顔形深鉢やくびれをもつ深鉢に施される紐線に求めることには慎重であるべき、との指摘を行った。

 

堀之内2b式 深鉢(川口市文化財センター) 口縁部下に紐線文と8字貼付文。

 

対象遺跡と出土型式土器

 

霞ヶ浦周辺の堀之内2式 深鉢 土器編年細分

※ 堀之内2式古段階には紐線文は存在しない。

 

 

霞ヶ浦周辺の堀之内2式 浅鉢(内文土器) 土器編年細分

  • 陸平貝塚十 2層出土例(第 6図 1);外面にRL縄文を施し,内面に 4~5 本の沈線を施す。沈線の間隔が一定でない上,締麗な同心円を描かず線が斜めになったりしている点から,粗雑な印象。 類例として上高津貝塚 XVI2層出土の第 6図3。
  • 第6図 4~6 ; 沈線開や口唇部にキザミが施される。それに加えて,第 6図 4では突起と突起屈辺の渦巻状沈線文が、第 6図 6では沈線の上下連結が見られる。 これらの土器は,上高津貝塚における磨消縄文土器との共判から堀之内 2式新段階に位置
    付けられる。そのなかでも,地文縄文が施され,沈線が雑な陸平貝塚例(第 6図 1)はより古相に位置付けられると考察。
  • 対して,沈線間の上下連結や沈線間のキザミといった,加曽利 B1式の内文土器にみられる特徴を有する第 6図 4や 5は,新しい様相を示すと考えられる。
  • これらの土器の後続として,上高津貝塚では, XVIっ層の上位にあたる XIV層から,加曽利 B1式に位霞づけられる内文土器(第 6国 9)が出土。
  • 陸平貝塚においても H層から加曽利 B1式の内文土器(第 6図 10)が出土しており,層位的にも矛盾なく次の加曽手B1式に系統的に変化していく様相が見て取れる。

 

 

 

内文浅鉢は、堀之内2式にもあるんだな( ・ω・)