2022/5/29、東京都東村山市、下宅部遺跡から出土した漆遺物を見に行った(東村山ふるさと歴史館、八国山たいけんの里)。
ととろの里
低湿地遺跡のため、樹木や堅果類などの有機物遺物がいい状態で発見された。 思いがけず縄文人の食生活と彼らの知恵を知る機会を得た。
※ 縄文時代後期後半に九州地方でダイズやアズキが栽培されていたという事実を土器の圧痕で突き止めたのは2007年。それまで弥生時代に中国から伝わったと考えられてきたダイズやアズキが縄文人たちによって栽培されていたことを証明する大きなきっかけとなった。日本の農耕史研究の上でも非常に重要な発見。
『狩猟採集生活(だけ)の縄文人、農耕生活の弥生人』のこれまでの認識は、縄文人へのリスペクトが少し足りない(?)
(八国山たいけんの里)
低湿地遺跡である下宅部遺跡@東村山市、水に浸され有機物が分解されずに残った↓ 1号クルミ塚、2号クルミ塚(縄文中期)。
(八国山たいけんの里)
1号クルミ塚、2号クルミ塚から↓ササゲ属の豆類が出土。
※ ササゲ属とは、アズキ、大納言を含む豆類。
※ ヤブツルアズキ(↓左)は、アズキ(↓右)の先祖野生種と言われており、日本、朝鮮半島、中国からヒマラヤにかけて分布する植物。人による大粒優先選択栽培により大豆が生まれたと考えられている(栽培化兆候群;小さなマメは土中深く蒔かれると発芽できなくなり、大きなマメだけが淘汰される)。
縄文中期の1号クルミ塚より出土したササゲ属Aの粒径は、野生種のヤブツルアズキよりも明らかに大きい。
1号クルミ塚は縄文中期中葉(5300~4800年 BC)、この時期には『既にササゲ属(≒アズキ)は先祖野生種であるヤブツルアズキよりも大粒になっている』ことになる。これは、下宅部縄文人の手によってアズキが管理栽培されていたことを意味する。
土器に焦げ付いた縄文アズキの粒もヤブツルアズキよりも明らかに大きい。
(八国山たいけんの里)
人為的に栽培が開始されてから大型化までには1000年以上経過していると思われ、少なくとも縄文前期の中頃には縄文人たちが栽培を開始していたのではないだろうか。
@八国山たいけんの里(出典;ここまでわかった!縄文人の植物利用)
【参考】
佐々木由香・工藤雄一郎・百原新:東京都下宅部遺跡の大型植物遺体からみた縄文時代後半期の植物資源利用, 植生史研究第15巻 第1号 p.2007年7月
工藤雄一郎・千葉敏朗・佐々木由香・能城修一・小畑弘己・鈴木三男 調査研究活動報告『縄文時代の植物利用の復元画製作』国立歴史民俗博物館研究報告 第187集 2014年7月