• 堀之内 1式から2式への変化は、文様の表出技法で、沈線が細く鋭利となり、次第に幾何学的構図へと向かう。しかし、この段階では相変わらず縄文を地紋とする。それが、施文順序が逆転して、先に文様を描いてから縄文を充填するようになり、口縁に細い紐線が施されたり、8字状の貼付がなされるようになると堀之内2式となる。

市川考古博物館

 

堀之内1式・2式の区分 研究史

(亀井翼 2017/筑波大学先史学・考古学研究第 28号 1-20 2017)

  • 堀之内式は, 1924年(大正 13年)に千葉県市川市堀之内貝塚出土の土器を標識資料として 山内清男が設定(斎藤 1978)。
  • 設定時点では標識資料自体が図示されなかったが, 「日本先史土器図譜」で実質的な標識資料が示された(山内 1940)。そこでは,新旧の 2区分, 関東地方における地域差(武蔵相模のもの下総のもの)についても言及されていた。
  • その後, 「図譜」の「新旧2型式」が,堀之内貝塚発掘報告における 1式, 2式の記述(西村ほか 1957, 芹沢・麻生 1957) などを経て,今日の堀之内 1式 2式になるとされている(斎藤 1978)。
  • 関東地方各地の堀之内式が図示された(市立市川考古学博物館編 1982・1983)。堀之内 2式に ついては,文様帯上下端の沈線による区画をもって 1式と 2式の境とすることが示された。 ただし胴部のくびれ部分が文様帯上端となり,懸垂文の下端が開く器種の場合,文様帯下 端の区画は施されない場合がある点にも言及されていた(鈴木 1982)

東関東における堀之内2式編年案(阿部1998)

 

古場・大間木内谷遺跡発掘調査報告書(浦和市遺跡調査会報告書77巻

 

 

深鉢

200(左上);深鉢 堀之内2式(千葉県堀之内貝塚)高14.5cm

201(右上);深鉢 堀之内2式(群馬県千網谷戸遺跡)高27.6cm

202(左下);深鉢 堀之内2式(東京都西ヶ原貝塚)高21.0cm

203(右下);深鉢 堀之内2式(千葉県宮本台遺跡)高22.0cm。半竹管で粗雑な文様を描いた深鉢。

※ 200~202;この時期の精製鉢は非常に定型的。堀之内1式と比べてやや小型、薄手で焼成の良いものが多い。

 

204(左上);深鉢 堀之内2式 (千葉県曽谷貝塚)高25.0cm。この時期の精製鉢は非常に定型的。堀之内1式と比べてやや小型、薄手で焼成の良いものが多い。特徴のある把手、幅の狭くなった胴文様帯、口縁部内面の文様帯(3本の沈線、加曽利B1式でさらに発達する)の発達など、堀之内2式の新しい部分の様相をよく示している。堀之内2式は3単位把手が基本なようだが、1/2/4単位などの例外も少なくない。加曽利B1式への過渡期の作品(口縁部文様帯は、紐線帯との幾何学的構図に堀之内2式の余韻を残す)。

205(右上);深鉢 堀之内2式 (茨城県安食平貝塚)高16.3cm。加曽利B1式への過渡期の作品。幾何学的な構図を残す文様帯に加えて、頸部にめぐらされた細紐線8字状の貼付要素から堀之内2式の範疇に入れておく。

206(左下);深鉢 加曽利B1式(茨城県椎塚貝塚)高18.5cm、

207(右下);深鉢 加曽利B1式(東京都西ヶ原貝塚)高27.2cm、

 

 

堀之内2式 深鉢(赤山陣屋跡遺跡出土 @川口文化財センター)

 

 

千葉市加曾利貝塚博物館

 

西広貝塚

 

 

 

 

 

 

  • 関東西部では、この堀之内2式に伴って称名寺式第VI段階が盛行。土器組成の上で東西の地域差が顕現していた。

 

 

 

鉢・壺

125 広口壺 堀之内2式(群馬県川原畑遺跡)高11.6cm。充填縄文?

 

 

178(左上);鉢 堀之内1式 (東京都小豆澤貝塚)高19.8cm

179(左中);鉢 堀之内1式(千葉県堀之内貝塚)高21.0cm

180(左下);鉢 堀之内1式(千葉県加曽利貝塚)高16.9cm

181(右上);鉢 堀之内2式(千葉県加曽利貝塚)高16.9cm。

182(右中);鉢 堀之内1式(長野県猿古窪遺跡)高9.5cm

183(右下);鉢 堀之内2式(千葉県堀之内貝塚)高19.3cm。縄文地に沈線。

 

 

 

 

 

 

 

 

注口土器

東京都目黒区東山遺跡(K・L・Q地点)(東京都目黒区埋蔵文化財発掘調査報告書12

 

 

 

190(左上);注口土器 堀之内2式(千葉県堀之内貝塚)高15.5cm

191(右上);注口土器 堀之内2式(千葉県加曽利北貝塚)高12.2cm

192(左中);注口土器 堀之内2式(東京都なすな原遺跡)高18.0cm

193(右中);注口土器 堀之内2式(岐阜県前田遺跡)高16.2cm

194(左下);注口土器 堀之内2式(群馬県三原田遺跡)高16.5cm

195(右下);注口土器 堀之内2式(千葉県加曽利貝塚)高12.218.0cm

堀之内2式の注口土器は把手に特徴があり、1式のように注口部に把手がくっつくものはない。胴部には深鉢と同様の充填縄文による文様が加えられるものが多い。192は無文であるが把手と器形はこの時期の特徴をよく表している。

 

 

堀之内2式の注口土器(赤山陣屋跡遺跡@川口文化財センター)

 

 

堀之内2式の注口土器 (下宅部遺跡出土@八国山たいけんの里)

 

 

堀之内2式 注口土器(上土棚南遺跡@綾瀬市) 把手と注口が直接接しない(2式の特徴)

2023/2/11 相模原市立博物館

 

 

堀之内2式 注口土器(左;上土棚南遺跡@綾瀬市、右;向井川名遺跡@藤沢市) 把手と注口が直接接しない(2式の特徴)

2023/2/11 相模原市立博物館

 

 

紐線文のある土器と無い土器は並存することが多 いとされた口紐線文の有蕪を細別の指標として考えられないことは,阿部芳郎,菅谷通保ら も指摘している(阿部 1988,菅谷 1990)。

市川考古博物館

 

 

 

千葉県堀之内貝塚

  •  ↑は、口が反る朝顔形の土器で、文様としては8字状貼付文(左上)、三角形区画文(右上)、連弧文(左下)などが観察される。
  • 沈線によって文様帯が区画される。
  • 右下の平底底部には外面に網代の圧痕がみえる。
  • 堀之内式土器については、西日本の縁帯文土器とも一部類縁性が認められることから、その影響や年代関係の解明が急がれている。
 
 
第10図1は、大木戸遺跡出土の堀之内2式とした土器。隆帯上に見られる「8」字貼付文は、隆帯の脱落防止のため、隆帯に直交する粘土紐を刺突によって張り付けた目的も想定可能。第10図2&3は加曽利B1式(内面に沈線)。(加曽利B1式の横帯文系紐線文土器について 大屋・上野 2014 埼埋文研究紀要28号)
※「8」字貼付文は、一般的に堀之内2式からの特徴とされ、加曽利Bまで継続(T調査員談)
 
 
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