(前回からの続き)

 

『赤の書』の「神の受胎」という章から…

 

今後、長い文章を引用する必要があることもあるかもしれないが、時間がかかる、面倒くさいので、短い文章を…

 

「あなたの生は、おのれ自身を克服すると同時に自分の克服に反して、自分自身を否定した者とともにある。」

 

おのれを克服するのは第一段階、でもそれだけではダメなんだと言っている。

 

ちなみにユングという人はもちろん科学者なのですが、極めて実践家で、宗教的な人であります。これは間違いないと思います。

 

「宗教的」というのは、毎日祈っていたのではないでしょうか。

 

『赤の書』には、もろに「魔術師」という章や、「魔法使い」という章がありますし、また・・・

 

「わたしがトマス・ア・ケンピスを読むのは、学問的な興味からよりはむしろ、祈りやそれに類することのためです」

(『赤の書』テキスト版P382)

 

とか

 

「(前略)・・・例えばニーチェは、本当の祈祷書以上のものを書きましたし、ファウストは言うまでもないでしょう」

(『赤の書』テキスト版P383)

 

とある通りです。

 

下線部の引用の話題に戻りますが、同じようなことをスウェーデンボルグも言っている。

 

どういうことを言っているのかというと・・・

 

たとえばある人が、自分は誘惑や試練に勝ったんだと感じても、もしその人が、それを自分の力で勝ったんだと感じているとしたら、実は、その人は、誘惑や試練に負けているんだというようなことを言っている。

 

まったく同じような意味だと思われます。

 

ユングは毎日祈っていた。

 

祈りが通るためには、下線部の引用に書かれているような精神状態じゃないと神に通らないと言っているのだと思う。

 

「神の受胎」という章は、わかりにくい章だと思いますが、上に引用したことがわかると意味が分かりやすくなると思います。

 

最後に

 

「そのようなとき、トマスのような書物はわたしにはとても大切なのです。それは魂から書かれているのですから」

(『赤の書』テキスト版P383)

 

ユングは実践家だったことが『赤の書』を読むとよくわかる。

 

ユングの『赤の書』こそ「本当の祈祷書以上のもの」と言えるのではないでしょうか。