ヘルスキーパーとして働くワタシの部屋に
オープン当初は月10回以上、最近はほどほどに月4回くらいで
マッサージを受けに来てくれる常連さんがいて、
常連という名にどうも釣り合わない30歳手前の彼は
体脂肪率7%を目指してる青年なんです。
目指すというより目安にしてると言った方が近いかもしれません。
なので、
筋トレも有酸素トレもゴリゴリとコツコツとやってて、
当然に食事にも注意が払われてて。

ワタシとは年齢であれば親と子ってほどに違うし、
体脂肪率はワタシが豚バラなら、
彼は本マグロってほどに違うんですけど、
ただ、
どうも、
何かが近く感じられて、
マッサージを施す側のワタシも彼との時間に癒されちゃったり、
勉強なったり、刺激受けたりなんかもしちゃう。
そんな肉体の管理においてはストイックとも表現して良さそうな
彼に
そのストイックさの源泉は何かと興味が湧いて、
湧いたまんまに聴いてみたことがあります。

「どこ目指してんの?」
って。

(女子にモテたい。)
(なんかの大会に出る。)
(あいつに負けたくない。)
とかって余計で下世話な想像をするヘルスキーパーの質問に、
彼はサクッと答えます。

「ま、自己マンすよね」
と。

(ほー、)
(ん。。)
(や、カッケーな。)
って思ったんです。
(ん。)
(自己満足ね。)
(だ、だよね。)
ってワタシのの頭の中にあった想像空間の色合いは、
くすんだ紫色だったのが、
その彼の言葉を受けて、
透き通る空色になった感じがしました。

それで、
ワタシにも似たような経験というか感覚があったことを
思い出したんです。

目が不自由になる前はフルマラソンに出るのが趣味みたいなものだったワタシは、
それに出るための練習も趣味のようなもので、
月間で100キロくらいをコツコツ走ってました。
そんなことが何かの拍子に誰かとの会話に登場すると、
大抵のその誰かは、
「えー!すごいっすねぇ」
って反応になります。
「フルって42.195キロ?」
って場つなぎ的な質問を受けて、
「あ、はい。そうです。」
なんて色気のない返事をするワタシ。
こんな時に、
その会話の相手である誰かが、
そこそこに近い関係であって、
走るなんてことは自身にはあり得ないとしてる誰かさんであれば、
大抵こんな質問してくるわけです。

「どこ目指してんの?」
って。

そんな時は
少々と、少々とで、チラッとですけどね、
(ウゼーな。)
って思ってたのは思ってたなと。

で、ウダウダ語るんです。
走る以前には歴とした100キロ超級の本物のデブだったこととか、
そん時にデブ専門店じゃないと服が買えなかったとか、
それが走ってる今はどこでも服が買えるのだとか、
それがどれだけ嬉しいことかとか、
気分転換だとか、走ってる間は
無になれるんだとか、
走った後のシャワーがどんだけ気持ち良いかとか、
まさにウダウダってたなと思い返されるんですね。

言いたいですね。
そこで、
「ま、自己マンすよね」
って(^^)

今度の3連休のど真ん中の11日。
視覚障害者になってから初めてで、
ハーフマラソンに出場するんです。
ワタシの友人に伴走をしてもらって地元の大会に出場します。
友人の視力に頼ってその友人の背中を追う21キロを
時間内で完走できるのか。
もう、不安でしょうがないんです。
なんなら、やめようかなとか思うんです。
実際、太もも裏を痛めてるとかって、
言い訳が渦巻くんです。
ほんとです、渦を巻くんです。。
やめて良い理由を探したりまでする。
でも、
出るんですよね。
や、
出ます。
完走までは約束できる範疇ではないんですけど、
完走目指してスタートはする。
最善を尽くす。

で、
完走したら、
誰かに褒めてもらいたい。
褒められたい。

ん?
あれ?
褒められたいの?
それって、
自己マン?

までも、
やっぱり、
褒められたいし。

ったく、、
どこ目指してるんですかね?

このブログも、
ったく、、
自己マンの傍に、
褒められたい自分が
ピターッと寄り添っちゃってんすよね。