大手町の高層ビル群の中にワタシが勤務する会社はある。

入社初日にスーツを着込んで社員として初めて足を踏み入れた時は

テニスコートサイズのロビーは5階部分までが吹き抜けで

(この無駄な空間、もったいねーな)

と感じている自分に対して

(建築美は無駄が命)

と嗜める自分がいたりで、

(こんなビルん中でオレは働くのか)

とした分不相応を前提にした些細な優越感みたいなものを感じたことを思い返す。


それからたった数ヶ月後のワタシはTシャツにチノパンにランニングシューズという出立ちで、

大汗をかいてロビーにやってくる様は、

未だしっかり浮いている。

しかし、心持ちは地に足がついてきた。

(仕事に慣れた)

ということなのだろう。


ワタシが勤める会社が入るこのビルには3軒のコンビニが入っている。

3軒の営業が成り立つ規模のビルである。

ロビーの裏側にあたる1階には多彩な飲食店が並び、

2階には共有のソファ席やカウンター席があって、

持ち込みの食事をする人、パソコン開いて仕事をする人、寝る人と様々だが、

ワタシはそこで家から持ってきたおにぎり1個とバナナ1本を食べるために利用する。

そそくさと食べ終えて、ラジオを聴いたり、本を読んで(聴いて)みたり、スマホをイジイジしたりと、

1310分から14時までの昼休憩はここで過ごすことが多い。

この時間が心地よい。

朝は930分に出社する。1820分に退社する。残業はない。

何もが決まっているから朝起きる時間も、

目薬の時間も歯磨きを始める時間もが必然的に決まって、

それらの合図はテレビやラジオが教えてくれる。

こういう仕事との付き合い方が世間にあることは知っていたが、

自分には無縁のことだと思っていたから特別な興味もなかった。

そのスタイルに踏み込んでみたら、

これはこれで悪くない。

(仕事に慣れた)

そう思えるまでの時が過ぎた。


慣れることもあれば慣れないこともある。

ビルの2階にあるコンビニ店員さんとのやりとりがどうにも慣れない。

多くの人は無人のレジを利用するからか、

有人のレジを使うワタシはその店員さんにあたる確率が高い。

「こちらへどうぞー!」

と白杖を持ったワタシにあえて大袈裟に手を挙げて声をかけてくれる。

親切で感じの良い女性である。


「お支払いは?」


「あ、パスモでお願いします。」


「はい!交通系で承りましたー!」


「ピ」


最後のピは、甲高いタッチ音の少々前に鳴るワタシの頭の中の何かにヒビが入るような低い音「ピ」でもある。


ワタシはパスモと言ったのだが交通系と言われることに慣れない。

「パスモで承りましたー!」

と言って欲しい。

パスモは交通系ICカードなのも知っている。

その店員さんが交通系をタッチして会計されることも店員さん側から見たことはないが、そうなのだろう。

だろうだけど、理解する。

理解もするし、知ってもいるが、

「パスモで承りましたー!」

と言って欲しい。

いつものように感じ良く軽やかに滑舌良くなくていい。

小さい声で少々の無愛想でもいいから、

承りましたー!とかなくていいから、

「パスモですね」

でいいし、

「おす、パスモっすね」

だっていい、

「オケー、パスーモねー」

でもいい。

「はい。」

だけでいい。


(言い換えないで。。)

と感じてしまう自分にまったく慣れない。

慣れないから次回は、

「交通系でお願いします」

って言ってしまおうかとか、

地下1階のコンビニに行くようにしようかとか、

パスモと言ってくださいって今度言おうかとか、

そんなこと言えるわけねーなって思ったりとか、

や、言う必要ないよって思ったり

どうにも慣れないから毎回わちゃわちゃする自分に対して、

(アホか。。)

と問い詰めて、またわちゃわちゃする。


こういう自分には本当に慣れない。

面倒くさくて鬱陶しい。

でも、長年の自分との付き合いからで愛着みたいなものがあるのかないのか、

少々は、愛おしい。


仕事に慣れたのと同じ期間でブログを書かないことにも慣れた。

スポーツだって仕事だって、

車の運転や料理だって、

慣れこそがミスや事故を引き起こす。

(仕事に慣れた)

そう思えるのは、良いことであり悪いことを育んでることでもある。

数ヶ月ぶりの慣れない投稿をしたら、

あの店員さんの、

「交通系で承りましたー!」

が聴きたくなった。


ワタシはどう感じるのか、興味深い。