ベリベリ ローーーーング
なので、スルーで大丈夫です(๑•̀ㅂ•́)و✧
頭の整理
https://youtube.com/watch?v=ri4CbP_E7oo&si=DJpnMiTIExrYzC3U
近ごろYouTubeの動画が貼り付けられない
リンクを貼れているといいな
私が度々発作を起こしている時というのは…
他者の言動に対して、だいたい自分自身の精神が耐えられないと勝手に判断し(勘違いでも、トラウマでも)死のプロセスの始まりをスタートさせたかのように…体が勝手に反応を始めるような…そんな、自分の選択とは関係なしに人生が幕を閉じていく感覚に陥り出すことを言います。
私が死にたいとか消えた方が良いなどと思っていた頃は、その発作を経験したことがなくて、あくまでも自分の選択として幼いなりに思っていたことですが、その死にたいという気持ちが無くなって、だから大人になったあとですね…
その後に、過食嘔吐や不眠や戸締りの強迫観念…そういうのが襲って来るようになり…
それらを、自分のせいだから…こんな程度で人に頼ってはいけないだとか、あとは…これをしなくては生きていけないくらいに思っていた、正しいと思っていた、それをしてようやく普通でいられたというか、周りに合わせられたというか…
そんなようなもんでした。
それを経て…
というか、放置して…最終的に、自分と心がバラけていきました。
まだ気が付かないのか?限界なことに…ボロボロなことに…今すぐ対処しなければ命が危ないですよ!という警告だったように思います。
ストレスを感じると腹痛に襲われるということも、発作が始まる少し前の…このブログをスタートした頃には…日に何度も何度もありました。
私は、働かない働きたくない訳では無かったし、働けないなんて思ってもみなかったです。
ましてや…
多分、いちばん勘違いしていたのは
私は丈夫だと思っていたんです。
ずっと子供の頃から親に「お前は丈夫だ!」「大丈夫だから!」「そんなのほっとけ」という感じで、医者にも私一人だけ兄弟の中で連れて行って貰えず、インフルエンザの時も歩いて自力で一人で病院に行き点滴を受けていました。
私が丈夫だったのではなくて、母が姉や弟や自分自身のことで手一杯…大変だったから、私は丈夫でなくてはならなかったのです。
あとの結核検査で引っかかって知った肺炎の風邪の時も、咳を「うるさい!」と怒鳴られながら…とても気を使って何ヶ月もかけて自力で治しました。
息子の通院で、感覚過敏や…それを放置すると過剰適応となることなどを学び、感覚過敏はアレルギーや蕁麻疹やそのほかの症状も引き起こすのだと知ってから…
私は…思い出したんです
何年も前の稲刈りの時期…
台風が来る前に、倒れた稲を手刈りしなければならないとなった年がありました…
その当時は、一丁五反の田んぼをしており…
借りていた田んぼの中に、毎年倒れる田んぼがあったんです…
運動もしていた、元気な私は
張り切って田んぼに入りました
夫や義母や親戚の皆さんは…とても細くて小柄で、明らかに私の方が体力ありそうですよね。
でもです…
台風が来る前のフェーン現象の中…
稲が転んだ田んぼというのは…ぬかるんでいて
農業用のソリに刈り取った稲を重ねて運び…またソリを持って田んぼに入る…
とても広い田んぼでした…
皆さん汗だくで…そりの中にペットボトルの飲料を入れ、飲みながらでした…
私も、その飲料を飲みながらミネラルもとりながら…、流れる汗と補給と…そんなのをペットボトルで一本もやると…途端に私はお腹を壊しました。
そこから…全く役に立てない…
皆さんは飲む水分と、流れる汗と使う力と…それが上手く循環して…無限に動けるような感じに見えました…
実は、私にはそれが無理なんです…
どんな飲み物でも無理で…
一番長持ちするのは、朝に玄米を食べておいてあとは常温にしておいた清水を飲むこと。
それだと二時間は動力使った草刈りができます。
でも、あの時に…実は、私はこの人たちのような農家にはなれないと思っていました。
できるだけ手間を省かなければ、私にはできないと思って、農業の色んなことを調べて…
そもそも倒れないようにするだとか、暑い中で作業しなくていいようにだとか…
工夫して行ったのです。
それでも、生業としての農家は諦めていました。
それは、子供の頃から自分には持久力が無くて
体力を使うことをすると、胸が苦しくなったり喉が腫れてきたり、お腹を壊したり目眩がしたり…そうなってしまうからで、でもそれは私が悪いのだと思っていました。
好きなことをやる時は、それこそ無限の精神力なのですが…それは体力ではありません(笑)
でも、そういうことができるから体は丈夫なんだと思っていました。
あなたは精神の力が強いのよ!と、言われたことがあります。
体力と精神力の区別もつかなかったから、体力だと思っていました(笑)
先日も、朝から体が痛くて頭が痛くて…
でもそれに気が付かずに薬を飲まずに仕事に行ってしまって、途中で手が震えてきて…気がついた時には、頭がかち割るかと思うくらいの痛みだったんです…
眼球まで圧がかかるような痛みで、色の見分けが付きにくく仕事のミスもしました。
それでも顔に出ないので、誰にも何も言えず、何とか帰宅後、色んな薬を飲みました。
全く治らなくて、やっとその時に朝からいつもよりも体が痛かったこと、普段は頭が痛くないのに痛かったことに気が付きました…
そこで鎮痛剤を飲んだのですが、全く良くならない…
夕方に帰宅した長女に、頭が痛いんだと言うと
「なんか風邪が流行ってるみたいだよ!」と言われ、あっ!昨日から熱っぽい!と…そこでさらに微熱なことを思い出して風邪薬を飲みました。
それでやっと、風邪をひいていたんだとわかりました。
夫が帰宅する頃には、普通に家事も出来ていたのですが夫に「ねぇ!今は薬が効いたのだけど、さっきまでね大変だったんだよ〜」と言って、色んな経緯を話しました。
そして、言われたんです…
黄砂もあって体が弱っていて、体力もないんだから気持ちで無理しちゃ危ないよって。
?体力がない?気持ちで無理?
夫の言葉は、時々私に電流を流します…
私はとても思い込みが激しくて…自信過剰で…
だから…もしかして、私ってさ…体力ないのかな?
と聞くと…
無いでしょうあるのは精神力。
と言われて…全て腑に落ちました。。。
走馬灯のように…子供の頃からの記憶が思い返されました…
体力が無いと思えば、納得のいくことばかりです…
我ながら、運動神経は良いのです…そして、山に行って山菜採りとか好きなことを好きなようにやっていると…山を南海上り下りしようが…疲れ知らずの無限の体力になるために、勘違いしていたんだと…
私、確かに体力無いかも。
そしてアンバランスな精神力が、社会に合わせた暮らしにおいては私を疲弊させていることは明確です(笑)
山にいた頃は、精神力に見合うだけの体力もありましたが、それはやりたいことをやっていたからなんですね…。
私が、仕事をしたり社会に合わせて子育てをする時には、この精神力に合わせていては身体が持たないのだと…
死の恐怖を感じるところまで、ギリギリまで精神力で何とかしようとしているから…こんなふうになっていて…
楽しくもなければやりたくないような働くということにおいては、貧弱な体力の方に合わせてあげることが大事なのかもしれない。
そうも思いました。
とりあえずは、今はまだ持続可能な感じで働けている…けども、自分に正直に言うとすると、これでも無理をしていると認めなきゃならない。
大袈裟にではなくて、私に畑が必要だったりするのは、命に関わることなのかもしれない。
畑では、様々な工夫をすると私の体力でもやって行けるし、そして山を好きなように駆け回ることとほんの少し同じ気持ちを、心地良さを感じることも出来るから。
紹介した動画の男性が崖の上に立つのを見ていても、私は全く大丈夫だったのに…
彼が頭の中でパニックを起こしている時は、私にも伝わってきた。
うちの夫は、恐怖心を感じない人で
子供の頃から高い鉄塔に登ったり、自転車にスピードメーターをつけて、山の頂上からノンブレーキで降りてくるような人です。
でも、怖くない訳では無いらしく、用心深いしきちんと対策をしています。
夫から恐怖心が伝わってきたのは
私が救急車出運ばれたあと、やっと散歩も行けるようになった時に二人で散歩に出かけて、私にふと不安がよぎって「あ…やばい…」と真っ青になった時でした。
夫の不安や恐怖心が、私の発作を酷くしました。
私は喋れないので、大丈夫だから普通にしていてと伝えることも出来なくて、できるだけ普通になんてことないことを喋っていて欲しいのが発作のときなのですが、それを先に伝えていなかったし、私もまだわかっていなかったのであの時は大失敗でした。
それからは、私が発作を起こしていたら薬と水、もしくは面白い話しをするとか世間話(どうでも良いこと過ぎないやつ)を一人で喋って貰うという対応をしています。
夜は、トモくんや犬を撫でていましたが今は夜は、一人で耐えています。
隣に寝ている末っ子に触れたら私の発作は良くなるのはわかっているけども、末っ子に怖い夢でも見せたら可哀想なので何とか一人で耐えてます。
それでも無理ならその奥に寝ている夫が、夜にトイレに起きるのを待って背もたれになってもらいます。
夫には私の恐怖心は伝わらないとわかっているので遠慮なく。
手が震えるのは慣れましたが、眠れない時は背中がこわい(こわいは訛りかな?)のです。
上の動画の、クライマーの人の脳で起きていること…きっと私にも出来るようになる。
というか、発作にもだいぶ慣れてしまって…
でも、慣れは間違うと過剰適応となってさらなる症状を起こします。
だから、私は頭で分かることにします。
私に足りないのは完全に知力です。
言葉にして、知識として理解すると…心底の方で納得できたりしますよね
あれが、精神面においてもとても大切だと感じます。
原始的な、幼い頃の傷も…きっときっといつか納得させられると思っています。
死にたいなんて、私は本当の意味では思ったことなんて一度もない。
この精神力は、間違いなく…どんな時も自分の精神で戦って鍛えてきたからこそここにあるものだと思うから。
体力が無い(笑)
妙に納得♪
でも、自然の力を知って活かして、人の手を借りて…自らも創意工夫し続ければ…
やりたいことはほとんど出来るでしょう