…なんて私は言えない。




息子が高校やめようかなー?と昨夜言い出しました。
部活を辞めてから、自分の頭を殴ることも減って、少し柔らかくはなったように感じていたけども…
まぁ…だからこそ…話してくれたんだろうけども。

とりあえず今日は事情を担任に話して、お休みしました。

担任の先生は、昨年から担任です。
よく休み時間に一人でいる息子に対し、カウンセリングを勧めてくれていたこともあるみたい

『大丈夫?』と問われると…大丈夫です。と答えてしまうのは…私に似たんだろうと思います(笑)
誰も信用していないから、誰かに話して解決できると思っておらず…余計に不利になる確率が高いと答えを出して…
上手く説明できる自信もないから…
大丈夫ですと答えてしまう。

その事の弊害は私も十分に理解してるけども…
どうせ自分に原因があるんだろうとも思うから…結果としてそうなってしまうと…

理解出来る。

でも、そうやって生きてくるしか無かった私と違って息子には私がいる。

だから、無駄だと思うにはまだ早いと思う。
ダメでも私がいるのだから、できるだけ助けの窓口をちゃんと使って欲しいと思う。

息子の学校では教員不足もあって、授業というか教科がまるまる一年実習であったりもしました、しかし、今年は国語の先生も新しく入り、授業が始まって息子は嬉しそうにしてました。

先生がいたとしても教科によって、先生の教える声がまともに聞こえないような、賑やかな子達がいて、まともに授業にならないことがほとんどなのだそうです。

そんな子達が先生をバカにしてばかりで、理解しようとか耳を傾けようとか学ぼうなんて思ってない…そんなようなんだと息子は言います。

あげ足をとるとか、文句を言うとか…笑いものにするとか…そういうことが無駄だってことをなんでみんなは分からないのだろう??

ほんと、その通りだと私も思う。

そんなだと、結局先生がいたとしても自分で勉強してるだけだから学校に行っても行かなくても変わらない。

それに、俺が少し何かすると、笑われたりもする。陰口も言われてる。浮いてるのは自覚してる。
何とか自分で解決しようとしてきたし、この間は言葉で伝えたりもした。
でも、そんなで変わるわけもない。
何故?なぜ俺がみんなと違うからって、何もしてないのに陰口を言う必要があるのか?さっぱり理解できない。
とても辛い。
一人だけ信頼出来る子がいて、でもその子は女の子だから…

そういうのも、そいつらにとって気に食わないのだろう…と。

真面目に、先生の教えを聞きたいのは息子だけではないだろうと思うけれど、なめらかに対応したり受け流せる子達がほとんどなんだと思う。
息子はそれが難しい。
学年集会もまともな集会にならないような学校は、根本的に…それらの問題を解決しようとしない先生たちにも…問題があるようにも思う。

息子が『信頼が置けない。』と思うのも無理はないような気がする。

高校は義務教育では無いのに、そういう生徒がそんなまんまでクラスの雰囲気を作り出してしまうのは…おかしいように思います。

だって…そんななら学校に来なくていいですよ。
授業を邪魔するならば、受けたくないならばやめてもらっていいですよ。

…と、どうして学校はそんなふうに、そんな子達に対応してくれないのだろうか??

迷惑でしかない。なぜ進級できたのか?

息子にも凸凹特性があり、人間不信から過剰に被害者意識が生まれているのは分かる。
本人にもそういうところが自分にはあるというのは、長い時間と話し合いと記憶の整理によって、少し理解し始めたところです。

電車でも笑われるというのは、思春期頃の女子独特の…誰彼構わず、なにか目につくと友達と目を合わせてクスッと笑い合っているだけに過ぎないかもしれないけども、人間不信になっている息子には今はそんなことさえも棘のように刺さり、きついようです。


(旧式の戦車は横についてるらしい。)

息子の趣味も変わってるから、話の合う子がいないのはわかるけど…
かと言って、銃の話や…マニアックな動画、野性味溢れる料理動画…難しそうなゲームを見せられても私もよく分からない(笑)
できるだけ聞くようにしてるし、見るようにはしてますがね|´-`)

しょうがないところもある(笑)
友達って言ったって、私や息子の思う友達というのは…多分とても重いから

なかなかそんな人いないのは仕方がないことだから…


一旦、時間と…
信頼出来る大人との会話や
俯瞰してみるに十分なくらいに世界を広げるということが息子には必要な気がします。

中学の頃の友達には連絡しない息子。
成長するにつれ自分が周りの子達にどれだけ迷惑をかけてたのか…そのことを理解してしまって、恥ずかしくて…申し訳なくて…連絡は二度としたくないと言います。

色んな息子の言葉に対し、まともなことを言っても余計に傷つけるだけなのは分かるし、私は全て予測していたことでもあります。

気持ちがよーくわかる(笑)

さらに成長してからしか理解できないこともあるし、上から目線の慰めも…優しさからの否認もしたくない。

そんな、私たちにとって理不尽な社会であることを…お互いにただただ話し、分かることを理解し合うだけの切なくどうにもならない話の中で…

ふと、1人の男の子のことを思い出した

小学生のころ、私の仕事の同僚で、息子と同じ歳の男の子のママさんがいて
私は彼女ととても仲良くなりました。

そして、息子さんの話を聞く中で
うちの子たち、とても気が合うだろうねとなって…
会わせてみたことがありました。

たった一回だけの事でしたが…
二人は、会った瞬間に肩を組み合って一生の友でありました。

その男の子は既に小学生の頃から色々あって、ママさんが言うにはチック症なのか、どもりがある子で…お喋りが高速で、止まらなく、学校では仲間はずれにされがちで…

と、確か、前にもブログに書いたことがあります。

私や息子達がその男の子と普通に会話するもんだから、そのママさんはとても驚いていたようです。

私にはその男の子はとても素直で純粋で面白くて、知識も豊富で…話していてとても愉快で
心が解けていくうちに、豪快さが出てきて
最後には山を駆け回って…
井戸水で顔を洗って、何度も水を汲んで
私の作ったシステムを褒めてくれて

そっちの印象しか無かった

学校や社会はチック症の方に目や意識が行くのだろうけども、そんな必要あるのか?と私は思った

社会で生きていくストレスで起こる生理現象は
その人の魅力や能力や面白さとは別であり
私にはやっぱり、たまに言葉に詰まるところよりも、言葉の意味やその子自身の魅力の方に夢中なんだから

この社会やシステムは、やたらと人間のどうでもいいところに目が行く社会だなと感じる。

そして、そんな目線を感じ…私もやっぱり学生時代は辛かった。

息子達…あの二人にはもちろんそんなのなんの関係もなく、お互いに好きなことのことしか喋れないし、そういう話は止まらない…たちまち無限のエネルギーが湧き出したかのように二人は語り合っていた。

立ち止まって話さなければならないような、気持ちとかそういうところにはとても不器用で…でも、その不器用なところは全て互いへの信頼で瞬時に事足りていて…


あぁ、苦手なところはもしかして、彼らの求める人間関係や彼らが作り出す世界においては不要なものであるのかもしれない。

私はそう思いました。

二人を見ていると…自然と
とても優しく…温かな空気に満ちた社会と、搾取の無い、分け合って尚溢れるような…無限のエネルギー
それに包まれた世界を想像することが出来ました。

息子達の苦手なところは、あの子たちに必要のないところで、それを必要とする場やそれを得意とする人たちは…今の社会の評価のようには決して…賢明でなどなくて…魅力もたいして無くて…
狡い者であったりすることがよくあるから…

やっぱり、普通ってなんだろ
この社会ってなんだろ

クッソくだらん

 
…て、私は思う。


ずっと海は海であるのに

あぁ…なんて本当にくだらない

たまたま今現在、そういう人たちがたくさんで、力があって無自覚で…安心を履き違えてて…

たまたまそういう人たちが優れているように評価される時代であって…

互いに命を預けられるような空気を知る人たちは、そういう人たちの気に触るのだろうけども、バカにされるということは向こうにとってこちらもくだらないのかもしれないけども…
たまたまなんだ

そんなの、海が海であることとは違った次元の話しだから

花が美しいのも、種から芽が出るのとも違う次元で…

ぬるく…そこから一生出ることの無い…ほんとうの空も見たくないような人達が、親の言うまんま…周りが示すまんまの次元に自分がまさか閉じこもって、少し反抗してカッコつけているとは知らない人が…
ほんとうの痛みさえ自分の身で感じたことの無い人達が…

この社会では大多数なのか



ごめんよ、こんな社会に産んで。

私は、愛する子供を望んで産んだ。
それはとても幸せなことで…

でも、この社会の一員である以上…思い知らされるのは…
社会の奴隷を産んでしまっただけのバカなのではないか?私は…
そう感じることもたくさんある。

訳分からないよほんと。



どこへ行ったのだろう…
どこへ追いやってしまったのだろう…
なぜ作ったのだろう

志というイメージは…広がるようには伝わらず…海辺で拾うように
ただ転がり落ちてきてしまったのだろうか


家庭を守り育むよりも母親は…
自立するより前に子供たちは…
謎の社会に引っ張り出され搾取されようとしてる

私たちの頭は…周りを取り入れ順応し盲目になるためのものなのだろうか?
私は自然から学ぶ時にはいつも
思い出すように学んでいた

赤ちゃんも、思い出すように手を動かしていた

それらを活かすことが技術で
さらに周りの自然を見て感じ学び、それらを広げて未来に繋げ想像するのが何よりの楽しみなような…


価値観のひっくり返った肥えた社会は…
とても不健康で物足りなさで溢れてるし
つまらなさと、肥やしにならないクソばかりょ。