定時制高校を卒業して、
二部の短大に進学しました。
昼は工場で働いて、
夜に校舎に行きました。

国文科。

私は、文章を書く事が
幼い頃から好きで、
本を読むことが大好きでした。

田んぼの中に建っている校舎でした。

学生は、
東北出身の人が多かったです。

その中で、とても親しくなった人は、
同じ寮に住む山形の人でした。
二人で、
詩集を出そうと、
ガリ版で刷りました。

詩集の題名は
「かざぐるま」

出せないまま終わりましたが、
私はずっと引きずりました。

短大を卒業してからも、
彼女との文通は続きました。

卒業して、
家族の事情で故郷の奄美に帰り、
グランドホテルに就職し、
辞めてから、
スナック喫茶の
雇われママになりました。
その店名は、風車。漢字でした。

私の人生そのものです。

その後、
私は東京に住み、
夫とスナックで出会い、
京都を愛する夫と京都で
住むようになりました。

結婚して母になって
夫婦関係で頭が壊れそうになって
彼女に、長い手紙を書きました。
毎日、祈るように
彼女からの返信を待ちました。
長い間待った、彼女からの
手紙には、
悲しみのヒロインになってると
書かれていました。

その後、
長い間続いた彼女との交信は
無くなりました。

彼女は、
あの頃は結婚はしていませんでした。
今は解りません。

次男のライブで山形に行ったとき、
私はずっとその頃の事を
思い出していました。
言いませんでしたけどね☺️

私ね、
かざぐるまが好きです。
くるくる回るって
人生とおなじでしょう?😆

私は、
自分を悲劇のヒロインと思った事は
一度もありませんから✌️

生い立ちの中で出来た精神だと
思いますが、
誰かに頼ると言う選択をしません。
彼女からの返信を待っていた私は
彼女の返信に何を
期待していたのかと
よく考えました。

ただ、
伝えたかっただけ、
だったのかなと今は思います。
彼女の生き方の中では、
私の苦しみは
悲劇のヒロインと思った
と言うこと。

人の繋がりは、
言葉一つで
全てが解ってしまうこともあり、
終わることもありますね。

彼女は、私の結婚式にも山形から
彼と一緒に来てくれました。

その後、
長男がまだ乳飲み子の頃、
彼女が仕事で京都に来た時に
会いました。
待ち合わせしていたのに、
私の記憶の中の彼女とは
全く変わっていて、
解りませんでした。
それ以来、
彼女とは会っていませんし、
交信もありません。

生きるってこう言うことですね。

かざぐるま
もう一回回そうかな、
私の人生で。