奄美の定時制高校を卒業して、
群馬の短期大学国文科の二部に
進学するために島を出ました。

勉強は好きでした。
寮生活をしながら、
昼間は工場で働き、
夜は、田んぼの中に建っている
校舎に通い学びました。

生意気な娘だった私は、
高校も短大も自分で決めてから
両親に報告して、
高校受験の願書を出した事を知った時、
父は物凄く怒り悲しんでいました。
私の後には、
3人の兄弟がいましたので、
幼いなりに、
途中で辞めたくないなと
考えた結果でした。
田舎の中学校ですが、
成績はいつも上の方でしたので、
父は違う進路を考えていたのだろうと
思います。
今思えば、
なんて親不孝な娘だったのだろうと
父の悲しみも解ります。
けれど、貧しい暮らしですから、
弟や妹には、
ちゃんと全日制の高校に
行かせてあげたいと思ったのです。
そんな事、娘に思わせたら、
父としては悲しいですよね。
まだ、そんな事までは、
思い至らない幼い決断でした。
弟妹は、全日制の高校を卒業しました。

長女ですから、
両親の家計の苦しさは
よく見ていました。
ですから、
この頃も、自分の為の新しい物を
あまり欲しがりませんでした。
妹や弟が要らなくなった物を
工夫して使う様な、
変わった子供でした。

その生き方は、
家庭を持ち母になってからも
続きました。
息子二人が着なくなった服、
様々な小物など、
捨てずに使って来ました。

パソコンもアイパットも、
長男のお下がりで使い方を
独学しました。

息子二人も夫も、
それぞれの生き方をしています。

私が自分の思いのままに生きても
もう、いいかなと思います。
便利使いの母などには
絶対なりません。

家族って、
縛り付ける事ではないと
私は思います。
依存し合う事でもありません。

生存の証明の様な繋がりですね。

愛していますよ。
大切な存在です。
ただ、家族だからこうするべきという
押し付けは違うかなと思います。
感謝を無くしたら、
ただの我が儘です。

長男が家を離れてから、
母を色々心配してくれた時、
大丈夫だよ、ほっといてねと
言いました。

今もそう思っています。
私は、両親の病の頃、
心が全部両親に向いていて、
自分の人生に
向いていなかった経験があるからです。

家族でも
それぞれの人生があります。

私は、ひき止めたり、
進む方向を変えさせたりは
したくないと思って育てました。

中学校卒業の頃、
勝手に出した願書を
父は取り消しませんでした。

父の思いとは違うかもしれませんが、
家族でも、それぞれの生き方を
尊重したいと、私は学びました。
ですから、
母の私の生き方も、
便利使いなどさせません。

自分がしてきた結果の形を
他人事のようにいう言葉を聞いて、
心の中に北風が吹き、
明日居なくなるかもしれないよと
思うことがありました。

思い一つで、
人は変わりますよね?

自分がしたことは
自分で終わりなさい。

言い訳は聞きません。

ようやく、
お下がり人生を変える、
本気になりました。